アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1328

  古本で埋まった押入れを整理中(結局は元通りに埋まる)、未読の古書を見つける。

「冤罪の戦後史」という本で、これをいつどこで買ったかは全く記憶にない。しかし少なくとも五百円以下で入手していることは間違いなく、その金額帯こそ、老生が古本一冊に払える額のリミットであるからだ。それはどうでもいいとして、早速目次に目を通すと、そこには老生が、かねてから興味をそそられ続けた人物が扱われていることに気付く。

   その人物の名は「紅林麻雄」、当時の肩書は元静岡県警本部強力犯捜査主任警部であり、その能力と実力を惜しみなく出し切った、何も心残りのないよう最大限に後悔なく尽くした主な事件は次に挙げる五件の事案である。

1948年(昭和二十三年) 幸浦事件

1950年(昭和二十五年) 仁保事件

1950年(昭和二十五年) 小島事件

1954年(昭和二十九年) 島田事件

1955年(昭和三十年) 丸正事件

   残念ながら彼は以上の、戦後十年間に静岡県において発生した著名冤罪事件のA級戦犯であることがのちに判明し、果ては昭和の冤罪製造者・拷問王との烙印が押されることとなる。今ここで、彼の捜査に対する信念が埼玉県で起きた狭山事件における関源三の行動と共通点があるかどうかには触れることはよすとして、しばらくこの本を読み進めると、冤罪製造者と評された紅林麻雄について中々に詳細な記録が記載されており、当分この書にハマりそうである。

   なお、本書に挟まれていた紙片類の中には「売上カード」が含まれていた。ということはこの本は新刊書として店頭では売れずにそのまま古書流通媒体に流れたのかも知れない・・・。

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狭山事件公判調書第二審4063丁〜】

自白論  その(1) 『鞄・万年筆・腕時計と自白』

                                                               弁護人=宮沢祥夫

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(二) ところで、右の尋問の中でも明らかなように、被告人は長谷部から被告人宅に上がれる者を聞かれており、弟=清の友人の「ただお」の名前を出しているのである。その際、関源三は「ただお」は関の家の前の人だと言っており、「ただお」に万年筆を持って来てもらおうかというような話が長谷部からあったのである。

   しかしながら、「ただお」によって万年筆が持って来られたことは証拠上まったくうかがえないが、その話の中に出ている関源三については、万年筆の発見に関して極めて深い疑惑が持たれるのである。関源三は被告人宅周辺を受け持つ駐在巡査をしていて、被告人とは野球をすることで知り合っていた事実があり、且つ被告人の家族もそれを知っていた。その顔見知りのために関源三は何回か差入れ・下着の申しつけということに藉口(注:1)して、被告人宅に立ち寄っている。

   しかも被告人の母=リイ、兄=六造の当審の証言を綜合すれば、第三回の捜索を受けた六月二十六日の数日前に関源三は、珍しく被告人宅の勝手口から屋内に入って、風呂場で洗濯していたリイに声をかけ、リイは六造が寝ていた座敷に六造を起こしに行った。六造が起きて勝手場の方に来てみると、関源三が板敷のところに佇(ま)っていたので話を交わしたのである。いつもなら玄関から入り、且つ、室内には上がったことがないのに拘(かかわ)らず、その日は勝手口から入り、且つ、室内に上がっていたのである。

   その結果、六月二十六日の被告人方第三回目の捜索の際、何もなかった所の勝手場の鴨居から被害品とされる万年筆が発見されたのである。関源三は当審に於いて、被告人宅を訪れていることは認めているところであって、関源三によって既に警察に入手されていた万年筆が被告人宅の勝手場鴨居に置かれたのだという疑問に容易に結びつくのである。

(続く)

注:1  「藉口(しゃこう)」=その事にかこつけて言いわけをすること。それを口実とすること。

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写真は関源三巡査部長。