写真は被告人宅から発見された万年筆。
【狭山事件公判調書第二審4061丁〜】
自白論 その(1) 『鞄・万年筆・腕時計と自白』
弁護人=宮沢祥夫
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二、万年筆は被告人の自供によって発見されたものではない。むしろ、被告人の自供は警察官の誘導によって作り出されたものであり、且つ、その自供に合致するよう万年筆は作為されて発見されたものである。
(一)そこで当審に於ける被告人に対する次の中田主任弁護人の尋問状況を見る必要がある。すなわち、
中田弁護人=「六月二十六日にあなたの家から万年筆が出て来たんですが、万年筆についてはどういう風に調べられましたか」
被告人=「おれんちにあるって言ったんだね」
中田弁護人=「誰が」
被告人=「長谷部さんだと思ったね、確か。ちょっと長谷部さんか誰か、あんまり変なことを言うと怒られちゃうからな。お前の家に上がれる人いるか、おれの友だちはいないけど、清の友だちがいる、と言ったんです。誰だ、というから、"ただお"という奴の名前を出したんです。そしたら、それに持って来てもらおうか、と言ったんですね」
中田弁護人=「長谷部さんが」
被告人=「ええ。じゃその人、頼んで持って来て下さい、と言ったんです。そしたら関さんがそこで、"ただお"というのは、どこの家の人だと言ったんで、関さんの家の前の人だと言ったんです。それじゃそのようにしようと言ったんです」
中田弁護人=「それで、その"ただお"という人が家に取りに行ったんですか」
被告人=「それは分からないですね」
中田弁護人=「長谷部さんのほうからお前の家にペンがあるんだと言ったんですか」
被告人=「ええ」
中田弁護人=「お前の家のどこにあるんだというようなことは」
被告人=「靴墨を置くところはどこだ、おれは決まったところがあるから鴨居のところ、と言ったんです」
中田弁護人=「あなたはその時"ただお"という人を、清の友だちという人を教えたりなんかした、そういうことがあった時に、万年筆のある場所を地図に書いたでしょう」
被告人=「ええ、書いたですね」
中田弁護人=「それは、靴墨はどこに置くのか、というようなことを聞かれて、靴墨を置く場所にあると言って構わず鴨居を、その場所を書いたというのは」
被告人=「おれんちのあそこに、あんちゃんのとおれのとカミソリがあるんだね、おれのカミソリがあるところ、そこを書いたんです。あんちゃんのは少し離れたところにね」
中田弁護人=「あなたの家は玄関の右手のほうに台所のほうに通ずる勝手口がありますね」
被告人=「あります」
中田弁護人=「あなたがいつも自分の使うカミソリを置いたのは、その勝手口の戸の上の鴨居のところですか」
被告人=「ええ、そうです。開けて上です」
中田弁護人=「その"ただお"という人を、友だちを教えてやったりしたことはいいんですが、そのカミソリを置く場所を地図に書いたというのは、誰かに書けと言われたんですね」
被告人=「別に書けと言われないです。ただね、カミソリなんか置いてあるところを、ペンを置いてあるところと言ったから、そこから本当に出て来たんです。だから、これはあんちゃんだなと思ったんです」
以上の被告人の供述を見れば、万年筆が被告人宅にあることを長谷部から教えられ、その場所が鴨居であることまで長谷部は知っていたことが明らかとなっている。そうして被告人はカミソリを置く場所を図示しており、その場所から万年筆が出てきたのである。
(続く)
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ところで万年筆が発見された鴨居をよく見ると右端に隙間が見える。被告人方ではこの穴をねずみが出入りすることから「ねずみ穴」と呼び、それを防ぐためにボロ布を詰めていた。
実は家宅捜索の責任者=小島警部は鴨居右端にあった穴を、詰めていたボロ布を引っ張り出して調べたと証言している。万年筆が発見されたのはこの穴のすぐ左側である・・・。
(東京新聞1986年11月13日付朝刊より)
五月二十三日、六月十八日の二回の家宅捜索にたずさわった七人の元刑事たちが、万年筆の発見場所である勝手場の鴨居は二回の捜索で調べた所であり、何もなかったと証言する。
刑事A=「(自分の担当の部屋を捜索する)作業を終わってから、奥のほう、お勝手に行きましたねえ。(自宅の鴨居を指さしながら)こういう上、ちょっと触ったような気がするねえ」「届くところは手を入れた覚えはあるけどね」
刑事B=「(鴨居に)背の大きい人がサッサーと、こう手を入れてるような感じを見たんだが」
刑事D=「(鴨居なんかの捜索はおとさないように)気をつけますね」「こりゃもう、警察学校から、厳しく教育受けますよ」
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捜査側の身内からも疑念の声が囁かれるこの狭山事件を、家令和典裁判長は再審によりその疑惑を明らかにするのかどうか、もうしばらく待つこととしよう。