【狭山事件公判調書第二審4054丁〜】
自白論 その(1) 『鞄・万年筆・腕時計と自白』
弁護人=宮沢祥夫
*
(第一.「鞄」)(三) 当審第四十三回公判において、本件捜査の最高責任者である中勲証人は、中田主任弁護人の質問に答えて、鞄が発見されたのは六月二十四日である旨供述し、且つ六月二十五日には被告人の単独犯である旨の発表をしている。発表した前日に被告人の自供に基づいて鞄が発見されたので発表を行なったものである旨、詳細に供述しているのである。しかもこの発表は今まで竹内署長が記者会見していたものを、今度は刑事部長お前が行ってはどうか、という本部長の指示で中勲刑事部長が初めて記者会見しているのであって、その供述の信用性は極めて高いのである。
とくに中勲証人は、本件の証人として出頭するについては当時の状況を調査して来ていることは、例えば「長島少時」について刑事庶務課に照会していることからも充分に推認しうるところである。かくして六月二十一日付:関源三、青木一夫の各調書の成立についての疑惑は深まり、六月二十一日夕刻六時四十分頃、関源三らによって発見されたという本件鞄は被告人の自供とは関連を欠くものであることは明らかである。
*
二、被告人の六月二十日付、六月二十一日付警察官調書は誘導によって作り出された虚偽のものである。
(一) 鞄は教科書が発見された五月二十五日から、かなり後の六月二十一日の夕刻に発見されたことになっている。(実況見分調書)
発見状況についての原審、宮岡・関・清水・三沢の各証言を綜合すれば、六月二十一日の朝、被告人は関源三に対し、鞄の埋め場所を図示し、関源三はその図面を持って捜しに行ったが発見出来なかったため、帰ってもう一度図面を書いてもらった。そうして山学校の所で集合した捜査官と共に鞄の発見場所に行っている。そうしてそこで鞄を発見しているのである。
ところで鞄の発見場所に立会った原審証人=宮岡は、小麦刈りをしていると警察官が来て鞄を掘り出すのを見てくれと言われて行ったが、鞄は発見されなかったので一旦作業していた所へ戻ったところ、再び呼ばれたので行ってみるとその時は鞄がすでに発見されていた旨証言している。
この二つの事実から明らかなことは、警察が鞄の発見について、特にその場所にあるということについて絶大な確信が表われていることと、その発見を合理化するための作為が行なわれていることである。
ところで鞄と教科書を埋めた場所は客観的に百数十メートル離れた場所であることは明らかである(原審検証調書等)。ところが、被告人は六月二十一日、六月二十四日、六月二十五日の各警察調書に明らかな如く、二つの場所が違っていることについては明らかな供述を行なっておらず、特に六月二十五日付警察調書では鞄の発見場所について詳しく供述しているが、教科書の発見場所については漠然とした供述をしているに過ぎないのである。
六月二十五日付警察調書添付図面では教科書と鞄とは一ヶ所に捨てられたとして図示されている。
しかしその後の被告人の供述では三十メートルとか、五十メートル離れていたかも分からないというようにだんだん離れているような供述に変わってきているのである。このことは、かなり強引な誘導が行なわれたことの証拠でもある。特に発見された鞄の下には牛乳ビン・三角布・ハンカチが置かれてあった(原審、清水証言・実況見分調書等)が、被告人の自白調書には全く出てないのであって、被告人は全く知らなかったことを示すものである。このことは同時に被告人の、鞄を捨てたという自白が虚偽であることを明らかにするものである。
(続く)
*
○ところで鞄の下から見つかった物の中に牛乳ビンがあるが、この牛乳ビンは中身が半分ほど残っていた状態だったとされる。今日現在主流の、例えばペットボトル容器等とは違い、当時の牛乳ビンは一度その円形をなした厚紙製の蓋を開けた場合、中身は飲み干し空瓶は捨てることが常識であった。やや緩んだ蓋は外れやすくなりこれを再使用することは極めて稀であったと老生は記憶する。したがって中身が半分残った牛乳ビンを持ち歩くとは考えられず、実況見分調書のいう、この状況において牛乳ビンに中身が残っていたということは、この鞄発見場所で何者かがこの牛乳を半分飲んだと考えることが合理的と思われる。が、しかしそのような供述は石川被告の自白調書にはないのである。
と、ここまで書いておきながら、鞄の下から発見されたという牛乳ビンの写真を見ると、ビン首には未開封さながらビニールがかかり、さらに裁判資料によれば「牛乳キャップの文字、日付関係等」写真撮影の旨が記載されていることから、この牛乳ビンには蓋がされていたことがわかる。写真の牛乳ビンの中身は斜めに白濁し固まっているように見えるが、これは単に牛乳の成分が分離しただけかも知れず、この牛乳ビンは未開封であった可能性が高まる。ここまで来るともはや老生ごときの手には負えない問題となる。