アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1321

   

    昨日、五月二日は午後から激しい雨が降った。川越のはずれで傘を差し徒歩で家路を急ぐも、横なぐりの強い雨と風で全身ずぶ濡れとなる。

   本件が発生した昭和三十八年五月一日の夕刻も、記録によれば狭山周辺は豪雨と雷に見舞われている。被害者宅に届けられた脅迫状の状態を見ればそれほど水濡れなどしておらず、仮にズボンのポケットに入れていたとしても豪雨の中、脅迫状をこれほど良好な状態で保てたのは、そこに傘または雨合羽などの存在が不可欠と考えられるのだが、老生の記憶が正しければ調書においては雨具の着用などに関して一切触れられていない。そしてさらに言えば豪雨の中、ずぶ濡れで歩く様は人目を引き、目立ち、その姿を見た者の記憶に残るものである。

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狭山事件公判調書第二審4053丁〜】

自白論  その(1) 『鞄・万年筆・腕時計と自白』

                                                               弁護人=宮沢祥夫

はじめに

   狭山事件の特徴の一つは、被告人の自供に基づいて被害品が発見され、それが被告人の一審有罪判決の重要な証拠となったことである。しかし、弁護人は一審当初より無罪を主張し、被告人の自白と、それに基づく被害品の発見過程の矛盾・不合理性を根拠に自白の虚偽性を明らかにしてきた。当審における控訴趣意書・更新弁論においても、このことを重ねて主張し、その後の審理において、被告人の自白の虚偽性は益々明らかとなった。

   そこで以下は、控訴趣意・更新弁論を前提として、更新弁論後の証拠調によって明らかとなった事実を基礎に、被害品とされている鞄・万年筆・腕時計に関する発見過程の疑惑に基づいて被告人の自白の虚偽性を明らかにするものである。

第一、「鞄」

一、当審の証拠調の結果、明らかとなった重要な事実の一つは鞄発見の日時についての著しい疑問である。

   (一) 被告人が関源三に対し、いわゆる三人共犯説を自供した時期は、自供調書によれば六月二十日付となっている。この調書は三人共犯説に関する筋書きと鞄の捨て場所について関源三に地図を書いて教える旨の記載がなされている。その翌六月二十一日付:関調書によれば、自転車の紐も鞄と一緒に捨てた旨の供述があり、鞄の捨て場所を教えると言って藁半紙に万年筆で略図を書いたことになっている。しかし同日付の青木調書によれば鞄と教科書、紐を捨てた場所は別の場所であると言い変え、鞄を捨てた場所の図面を書き改めている。そうして、その一通には珍しくも取調べ時刻が午后五時である旨の記載がなされている。

   (二) ところが六月二十日、二十一日の段階で右のような自白があったというのは著しい疑惑がある。

   被告人は当審第二十六回公判で、自分が関源三にいわゆる三人共犯説を述べたのは六月二十三日頃だと繰り返し供述し、二十日ではなくて二十三日頃であることの根拠として、六月十七日の川越移管、十八日と二十日の弁護人との接見、二十日の裁判官の勾留質問の事実があったが、その間には犯行の自供はしていないと述べている。

   しかも川越移管後三、四日経過した頃、警察の箱飯が臭いということに関連して、被告人は絶食しており、したがってそれは十九日か二十日ということになるのである。

   被告人は絶食して二、三日経過した六月二十三日頃、初めて関源三に対しいわゆる三人共犯説を自供しているのであって、当審第五回公判において関源三は、川越に移ってから被告人に会ったが、その時期は被告人から「飯を三日くらい食わない」というようなことを聞いた時だと証言していることからも明らかである。特に、被告人は川越移管第一夜は箱飯を少し食ったが臭いので残し、次の日は青木警部にパンを買ってもらって食べ、その後、長谷部課長に話して警察官と同じ飯を食べたが、斉藤刑事に箱飯が臭ければ買うなと言われて怒り、絶食したものであって、六月二十三日頃の自供であることは明らかである。

(続く)

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狭山事件における三大物証:鞄、万年筆、腕時計のうち、鞄については発見されたのは革製のダレス鞄だったが、善枝の父親・栄作が警察で供述した調書によると、善枝が持っていたのは、一見革製に見える旅行鞄であるということからニセモノである可能性があった。それに加えジャーナリスト:伊吹隼人による『検証・狭山事件:女子高生誘拐殺人の現場と証言』によると、被害者の捜索(山狩り)に携わった元消防団員の証言として、掘り起こす前の遺体埋没現場近くに「鞄があった(と思う)」との記載があり、この証言はぜひとも当時の弁護団へ進言すべきだったと思われ残念でならない。

   以上、二つの情報をそれぞれ考察してみると、まず、被害者の父は娘が持っていた鞄は一見革製に見える鞄と供述するも、実際に発見されたのは本革製鞄でありこの点が食い違いを見せており、被害者の鞄は未発見がゆえに警察が本革製の鞄を用意、証拠捏造を行なったのではないかということである。

   一方、元消防団員の証言が事実とすると、警察は被害者が農道から遺体で発見された段階で、すでに鞄を入手していたことになり、こののち逮捕された石川被告に自白を強要しその供述とすり合わせるように鞄をセッティングしたと考えられる。これは鞄に限らず万年筆や腕時計にも共通する証拠発見のされ方と言える。あらかじめ事件における三大物証が捜査当局の手元にあったとなるとこれは恐ろしいことであるが、このように考えた場合、狭山事件にまつわる数々の黒い疑惑が解けていくのは何故だろうか。