アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1316

画像は死体発見現場と芋穴などの位置関係を示す航空写真。

(写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用)

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狭山事件公判調書第二審4046丁〜】

                     「逆吊りはありえない」

                                                                  弁護人=木村  靖

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   ところで死体を運ぶ際の発見の危険性について、六月二十五日付の調書では「そこは人の通るところではないから見つからないと思った」となっており、これが死体を芋穴まで運んでも人に見つからない理由とされている。また七月一日付の調書でも「その時は薄暗くなり雨も降っているので、付近に人影もなく人に見つかる心配はありませんでした」となっている。この二つの供述調書によれば当時の状況からすると死体を芋穴まで運んでも人に見つかる可能性はなかったことになる。

   しかしこのような自白があるということは、逆にいうと当時の状況からすると死体を芋穴にあえて隠す必要のないことを示すものと言える。というのは当時の状況が調書通りであるとすると、なにも重い死体を芋穴に逆吊りしなくても人に発見される心配はないということにならざるを得ないからである。このことを裏付けるように調書によれば死体を芋穴のところに運び、芋穴の付近に仰向けにしたまま放置して、被告人は脅迫状を書きかえたり、縄を探しに行ったことになっている。この間、死体は三十分以上も芋穴の側に放置されたままだったのである。

   このことは死体を芋穴に逆吊りしなくても、人に見つかる恐れはなかったことを示す事実以外の何ものでもない。

   結局、犯人が地理に詳しい者であるという前提で死体を埋めるため一時的にどこかに隠すとすれば、わざわざ芋穴まで死体を運ばなくても殺害現場付近の雑木林の穴に隠しておけば十分であったのである。仮に農道に死体を埋める目的を持ってあらかじめ近くまで運んでおいたとしても、人に見つからぬという当時の状況からしてあえて芋穴に隠す必要はないと言わねばならない。

   以上の事情からすれば、犯人が死体を芋穴に隠す必要はなかったというよりは、むしろ犯人が本件芋穴に死体を隠そうということを考えようにも考えつかぬ状況であったと言った方が良いかも知れない。にも関わらず死体を芋穴に隠したという石川自白があるということは、捜査官が何とか手元にある物証を説明がつくように結びつけて出来上がった想定を被告人に押し付けて自白調書としたものとしか考えられない。

(続く)

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○昨晩、ふと思った疑問を解くべく、早速図書館へ向かい調べてみた。疑問とは被害者の死体運搬時の供述内容にあり、五、六十キロの人体を抱え二百メートルも移動したとなれば、実際にその辛さに耐えたことを指すような表現が供述の中に見られないか、ということだ。

   前述した疑問は石川被告が罪を認めていた時期のものなので、調査対象は第一審の公判調書となる。

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   「・・・それから死んだ人をそのまま放っておくことは誰かに見つかってしまうから一時穴ぐらの中に隠しておこうと考えました。あたりが薄暗くなった頃ですから大体午後六時頃と思います。

   私は死んだ善枝さんを、頭を私の右側にして仰向けのまま、私の両腕の上にのせ前へ捧げるようにして、そこから四十米から五十米くらいはなれた畑の中の穴ぐらの側まで運びました。そこは私が穴を掘って善枝さんを埋めたすぐそばです」

(第一審第二分冊1098丁・昭和三十八年六月二十五日付:司法警察員巡査=青木一夫、立会人:警部補=遠藤 三)

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   「それから私は善枝ちゃんをこの前話したように穴ぐらのそばへ運んでおきました」

    「私は善枝ちゃんを穴ぐらのそばに運んでから、今度は大きな杉の木の下へ行って善枝ちゃんの家へ届ける手紙を書きなおしましたが・・・」

(共に昭和三十八年六月二十九日付:司法警察員=青木一夫に対する供述)

   肉体労働者という観点から老生は、人力による死体運搬時の苛烈さ、それが供述調書上のどこかへ表れてはいないだろうかという疑問を持ちこれを調べたわけだが、調書上のどこにもまったくそれはなかった・・・。

   しかしこれはまぁ、当然のことであるのかも知れず、供述調書とは、捜査機関が被疑者や参考人から聞いた供述内容を記録した単なる書面に過ぎず、5W1Hに徹し理路整然とした文章が求められることは間違いない。

   それにしても、「穴ぐらのそばへ運んだ」との、十文字ほどで片付けられたこの死体運搬作業の表現は軽く、まるで一瞬の出来事のような印象を与える。

   ところでこの写真の説明文には、「"自白"のような持ち方では、持ち上げることすら容易でない」とあったが、この点も重要であり、現役の肉体労働者から言わせてもらえば、これ程の重量物を地面から持ち上げるとなると、その人物は腰痛ごときでは済まされない事態を招くだろう。(写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用)