アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1315

○被害者と同じ重さの人形を「自白」のような方法で、どれだけ運べるのかという実験を狭山事件再審弁護団が行なっている。運んだ距離は二百メートルとなっているが・・・。

結果、一人は運べず、あとはそれぞれ五十メートル、百メートル、百六十六メートルの地点が限界で人形をこれ以上運ぶことが出来ず落としてしまったという。(写真・文は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用)

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狭山事件公判調書第二審4045丁〜】

                     「逆吊りはありえない」

                                                                  弁護人=木村  靖

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[第四]

(2).石川自白調書の不合理について

   a. 自白によれば、死体を殺害現場地点から芋穴まで運んだことになっている。しかし犯人は当時、本当に死体を芋穴まで運ぶ必要はあったのであろうか。

   六月二十五付青木一夫作成の調書によると、死体を芋穴に隠す理由として「死んだ人をそのまま放っておくことは誰かに見つかってしまうから、一時穴ぐらの中に隠しておこうと考え」たとされている。結局この調書によれば、被告人が善枝の死体を芋穴に隠したのはあくまで人に見つからないための一時的なもので、永久的なものでないということになる。とするのであれば、殺害現場から被告人は六十キログラム以上もある重い死体を両腕に抱えて、わざわざ二百メートルも離れた芋穴まで運ぶ必要はあるのであろうか。すなわち死体を殺害現場から芋穴まで運ぶということは、人に見つからぬ為とは言え、苦労のわりには人に見つかる可能性が強いからである。しかも原判決も認定しているように、本件は土地勘があり地理に詳しい者の犯行とするのなら尚更である。というのは、被告人の第二審における「殺害現場とされている地点の雑木林付近には死体を隠すには手頃な穴があり、俺が犯人であればそこに隠す」という供述に基づいて、昭和四十一年五月二日に現場検証を行なったところ、果たせるかな被告人の供述したとおりの穴が見つかり、その穴より小さい穴も幾つか発見されたりしているからである。そして被告人はその現場で「俺が言う大きな穴というのはこの穴である」とその場所を指示しているのである。

   この検証結果は第二審の石川供述を裏付けるだけでなく、土地勘があり地理に詳しい者であれば、一時的に死体を隠すだけならその穴に隠しておけば十分であり、敢えて人に発見される危険を犯してまで重い死体を離れた芋穴まで運ぶことはしなかったということをも立証したとも言える。

(続く)

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○六十キロの物体を抱え、一気に二百メートルを移動することは不可能である。これは日頃、平均二十五キロの荷物を扱う老生が自信を持って断言できることだ。二十五キロ程度であっても、二百メートルもの距離を移動するとなると途中何度も小休止しなければ移動は困難を極める。なお、時に三十八キロほどの荷も扱うが、これを胸に抱えて運べとなると、ほぼ十メートルおきに休憩せねばなるまい。このレベルの重さに達する荷物を扱う場合、現場では床を引きずり移動させるなどの工夫を強いられるものだ。

  もし実際に、重さ六十キロの被害者の遺体を二百メートル運んだとなると、その辛さは明確に記憶に残るに違いなく、何度も立ち止まり休み、時間もかかったとみられる。

   果たして石川被告の供述に、「あの作業は大変でした」と、この遺体運搬時の困難さを嘆くような内容が含まれていたかどうか、早急に第一審公判調書を調べなくてはならない。