アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1314

   石川被告の「自白」の中で、最も奇怪で、現実にあり得ないと考えられる行動は、芋穴に死体を逆さ吊りにして隠したという点である。

写真は狭山事件再審弁護団による再現実験の模様。

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狭山事件公判調書第二審4044丁〜】

                     「逆吊りはありえない」

                                                                  弁護人=木村  靖

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(3) (第三、死体及び芋穴自体には死体の逆吊りという痕跡は見られない) についての結論

   以上の通り中田善枝の死体自体や芋穴そのものは科学的にみる限り、死体が逆吊りされたという痕跡はなく、そういう事実を否定するものであることが明らかとなった。とすれば死体の芋穴逆吊りという石川自供は完全にくつがえるのであり、さらには石川自白そのものも根底からくつがえり、それを唯一近い根拠としている原判決も虚偽の事実に基づくもので誤りであったということになる。

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[第四]

   (1).では何故、死体の逆吊りという虚偽の石川自白調書が存在するのであろうか。

   そもそも犯罪史上まれにみる死体の芋穴への逆吊りという不自然な、また非科学的な、捜査官の勘だけに頼ったような想定はどうして出来たのであろうか。

   考えうるものの第一は、死体の足を縛ってあった木綿紐に非常に長い荒縄が結びつけられており、うつ伏せの死体の背にたぐり寄せられていたこと。第二に、たまたま芋穴の底にビニールの風呂敷と棍棒が落ちていたこと。第三に、死体の鼻に鼻血と思われるものが出ていたこと。第四に、善枝の着衣が当日の雨に打たれたにしてはそれほど濡れていなかったこと。第五に、木綿紐の端についていたビニール片と芋穴から発見されたビニール風呂敷の欠損部分が一致したことなどだけである。

   結局これらの点を捜査官が勝手に結びつけて、死体の芋穴への逆吊りという科学的な裏付けのない想定を考え出し、これを石川被告人に押しつけて自白させたものと考えられる。

   このような死体の芋穴への逆吊りという想定が成り立ち得ないことは、先述のように何よりも死体と芋穴自体が物語っているとおりである。したがってこの部分の石川自白調書も捜査官の想定を被告人に押しつけたことを裏書きするように各所に不合理さと矛盾を露呈している。

(続く)

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○ところで、この狭山事件というものに深く引き込まれていった理由を考えてみると、老生の場合、その推理小説顔負けの事件内容にあったと記憶する。まるで江戸川乱歩横溝正史の作品を彷彿とさせるような、しかしそれが現実に行なわれたということで裁判が開かれ、結果、今こうして公判調書を読んでいるわけである。まあ短絡的であったことは間違いない。

  とある農村での、誕生日を迎えた日の午後より行方がわからなくなった女子高校生。夕刻、家に届けられた脅迫状、そして身の毛がよだつ脅迫文。納屋には被害者の自転車が乗り捨ててあり、この晩の空模様は激しい豪雨と雷。深夜の佐野屋前での緊迫した身代金取引、直後の犯人の逃走と警察の追跡劇・・・。うむ、やはりこの事件は、横溝テイストに満ちているのだ。

   このような内容の中に、さらに遺体の逆吊りや関係者の相次ぐ自殺などが加わってくるとなると、これはもう事件関連の書を読まずにはいられなくなろう。創作ではなく事実なのであるから。

   ・・・やがてたどり着いた公判調書が、すべてが事実ではなかったということを知らしめてくれ、ここで新たに冤罪と呼ばれるカテゴリーが世に存在することを知ることとなった。

   それにしても被害者の遺体を逆吊りにするという非現実的な想定を考え出した捜査官らを「いや、それは無理があるよ」とたしなめる、反省を促(うなが)す人間が捜査関係者の中に皆無であったことは悲しいことである。