【狭山事件公判調書第二審4024丁〜】
「強姦・殺害・死体処理に関する自白の虚偽」⑩
弁護人:橋本紀徳
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六、"胃内容物と殺害時刻"
(一) 一体、被害者はいつ殺されたのであろうか。
これは本件について関心を持つ人の誰しも抱く疑問である。ところが、この肝心かなめの殺害時刻について自白では何も触れていない。原判決においても明らかにされていないのである。
(二) 原判決は被告人が善枝をつかまえた時刻、いわゆる出会い時刻は、五月一日の午后三時五十分頃と認定をしている。これからすると被害者は当日、午后四時頃から四時半頃までの間に殺されたということになろう。検察官も出会い時刻を午后四時頃と主張しているので、同様に四時から四時半頃までに殺害されたとみていると言えよう。
(三) ところが、五十嵐鑑定人によると、被害者の死亡時期は、食後最短三時間であり、上田鑑定によると食後二時間である(五十嵐鑑定書第四章(6)。上田鑑定書(G)①)。
明らかにされている被害者の最後の食事は、当日午前十一時五十分頃より午后○時五分頃までの間、学校でとった昼食であるから(第一審第六回公判中根敏子、宇賀神敏江証言)これら両鑑定人によると、被害者は五月一日の午后一時五十分ないし三時五分の間に殺害されたということになる。
両鑑定の死亡推定時刻は原判決の認定や検察官の主張と異ること明白である。
(四) もっとも、当時の善枝の級友たちの証言などによると、当日の善枝の下校時間は三時半頃とされている (前記、中根証言及び佐野とよ子の五月二十九日付検察官調書)。
もしそうだとすれば、一時五十分はもとより三時五分頃もまだ善枝は在校中であって、この頃殺されるということは絶対にあり得ないということになる。
級友たちの下校時間についての証言が正しいものとすれば、死亡推定時期に関する両鑑定は誤りと断ぜざるを得ないことになる。
もともと胃内容物より死亡時間を推定するのは、おおむね食物の消化状況を肉眼で観察した鑑定人が己れの経験に基づいて行なうものであるから、それぞれの鑑定人により若干の差異が生じることはもとより、鑑定人自身、その死亡推定時間にいくらかの巾をもたせて判断をしていることも当然予想されるところである。
しかし、四時より四時半頃までの間に死亡したとすると、これは最後の食事より四時間ないし四時間半を経過しており、両鑑定人が共にこれほど大きな巾を持たせて鑑定したのだとは考えにくい。
五十嵐鑑定人は「最短三時間」と述べているので、あるいは三時間以上相当の経過時間を考慮に入れたのだといわれるかも知れないが、しかし上限の時間について何も触れていないところをみれば、この「最短三時間」は、鑑定に多少の巾を持たせた表現としか解せられないのである。
(五) そうとすれば、中根、佐野らの下校時刻に関する供述の正確度が確かめられなければならないであろう。
当審第六十八回公判で取調済みの級友:鎌田芳子の証言調書によると、善枝は誕生日であるから、早く帰りたいと述べていたこと、授業終了後、善枝が真っ先に教室を出、それきり戻ってこないこと、同じく若狭良江の証言調書によると「たぶん彼女は五月一日は誕生日だと思ったんですよね。それではっきり覚えてないんですけど、ちらっと何か今日は誕生日だから早く帰って、自分で料理を作って、それで家族と食べるというようなことを聞いたようなことを覚えています」と述べていることなどからすると、下校時刻は三時半より早く、少なくとも授業終了直後の二時三十五分頃ではなかったろうかと思われるのである。
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次回(六)へ続く。
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○先日述べた、ごみ捨て場から持ち帰った古本束の話であるが、残りの本も引き続き最新査定額の検索を続けている。
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昭和四十八年発行、著者は藤原宰太郎、内容は・・・
ギャッ、見開きに「いなば」とえんぴつで署名されている!しかもでかい字で。カバー無し、書込み有りでは古書価は下がるが、とりあえずネットで調べると・・・
完本であればこのような額であるが、うむ、残念ながら本品にこのような査定がされることはなさそうだ。
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