【狭山事件公判調書第二審4021丁〜】
「強姦・殺害・死体処理に関する自白の虚偽」⑧
弁護人:橋本紀徳
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芋穴の壁は柔らかい土であるから、冒頭に引用した五十嵐鑑定書にあるような整然と、しかも明確な線状の擦過傷が生じるとは思われない。傷跡からすると小砂利の少し存在する平らな地面を引きずったものと判断される。あるいはコンクリート製の蓋の角に擦れたことにより、この擦過傷が生じたというかも知れないが、コンクリート製の蓋の角に擦すれたものとすれば、死体に残るような浅い傷跡ではすまされない。もっと深く、生々しい傷跡が生じるにちがいないのである。
さらに芋穴の壁にふれたという場合、下口唇左半部の擦過傷や左右脛骨沿いの擦過傷をうまく説明できまい。
被告人の自白をみると、死体の吊下げ、引上げに関する供述は実に簡単なものである。いやしくも体重が五十キロを超える死体であるから、それほど簡単に吊下げ引上げの作業が可能とは思われないが、少なくとも、自白はこのことに関し奇妙なほど簡単であり、おおざっぱに終始しているのである。
死体は、原検察官が述べるように、胸部・腹部を芋穴の壁にむけて引上げられたとも考えられ、また当審立会い検事:山梨検察官が前記五月十日付意見書の中で主張するように、臀部を芋穴の壁に向けて…つまり仰向けにして引上げられたとも考えられる。
検察官自身が引上げに関し矛盾した二つの説を主張するほどに、死体逆吊りの供述は曖昧さを残すものなのである。
芋穴の壁は死体に残るような線状擦過傷の成因なり得るかこれはまだ十分解明されている問題とは言えない。今のところ芋穴の壁によりこれらの擦過傷が生じたとするのは、原検察官の単なる想像にしか過ぎないのである。
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○芋穴の内部の写真。土壁の様子がわかる。
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五、"後頭部の創傷は何を語るか"
(一) 被害者の後頭部に大きな裂傷が存在する。これについて、上田鑑定人が「もし解剖鑑定人の考える如く、後頭部損傷を来たしたのは被害者が窒息来たす頃か、その少し前に受けていると仮定すると、後頭部損傷は皮膚に裂傷を来たすほどの損傷を受けているのだから、被害者は一時的にしろ意識不明状態になっていると考えねばならない」と指摘する点は重大である(上田鑑定書(E)項③)。
何故なら殺害に関する被告人のどの自白調書を見ても、被害者が殺される前に、すでに意識不明の状態にあったとの供述は見当たらないからである。
たとえば、六月二十五日付検察官調書第四項によると「女学生に足をかけて仰向けに倒しまして、そうしてスカートの下にはいていたズロースを膝より一寸下附近まで引き下げたところ、女学生は助けてと伝ってわめき始めたので、私は声を出さないように右手の親指と外の四本の指を両方に広げて女学生の首に手の平が当たるようにし、声を出さないように上から押さえました」とあり、七月一日付の第二回検察官調書第四項には「その女学生は倒れた時、痛いとかキャッとか伝いましたが、それほど大きな声ではありませんでした」と述べ、その後、引き続き何回か大声で助けを求めたと供述しているのである。
いずれの場合も、押し倒され、後頭部に裂傷を負ったと思われる後でも、被害者は意識不明におちいることなく、大声で騒ぎ、また助けを求めたとされるのである。
これら被告人の供述は、明らかに死体の受けた損傷の状況からするとあり得ないことであり、ここでもまた自白は客観的事実と相容れない虚偽の事実を述べるものだと言わざるを得ないのである。
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次回(二)へ続く。
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○ところで、整理整頓という言葉とは無縁な老生は、趣味で集めた古本を無節操に積み上げ保管している。しかしよく考えると、古本を買う際、購入を決定する意識的な原因、つまり動機がそこにあったと、今頃になって気付く。老生の場合、古本を買う動機は二つしかなく、一つ目は単に「読みたい」という欲求であり、二つ目は「転売」目的、すなわち利益を得たいという欲求での購入である。二つの相反する動機で購入した古本を片っ端からごちゃ混ぜに積み上げてゆくとどうなるか。これはアレジンやエキサイトも顔負けの古本地獄モード突入である。どの本が何の目的で買ったのか、しかも購入した時期から現在までに己れの趣向も変化を遂げ、転売目的で買ったはずの本を熟読したりし、一向に天国モードへ移行できぬ状況におちいる。
ディープパープルの曲に「スペース・トラッキン」という、どこか宇宙的な感覚を感じられる(老生だけかも)作品がある。長年、この曲の持つ宇宙的(特にハモンドオルガン=ジョン・ロードのプレイがそれを決定付けている)な要素はどこから、なぜ、この曲へ影響したか疑問であった。この曲は単なるハードロックとは違い、繰り返すが、どこか宇宙的なのである。
後年、バンドのボーカル:イアン・ギランが「スペース・トラッキン」制作当時、アイザック・アシモフを愛読していた事実を知り、なるほど、だからこの曲風になったのだなと老生は溜飲を下げたのであった。
・・・早速それを検証すべく、アシモフ博士の著作本は持っていたはずと押入れを探すが、写真および前述した、ずぼらな保管ぶりでアシモフ本は行方不明のままである。