【狭山事件公判調書第二審4006丁〜】
「強姦・殺害・死体処理に関する自白の虚偽」②
弁護人:橋本紀徳
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二、自白のような殺害方法と死体の頸部に残る痕跡とは一致するか。
(一)一致しない。
殺害方法という本件の根幹をなすもっとも重要な点で、自白と客観的事実は、明白にくいちがうのである。
(二)被告人の六月二十五日付検察官調書第四項、七月五日付検察官調書第一項によると、被告人は、右手の 親指と、他の四本の指とをひろげて被害者ののどにあて、上から押えつけ、圧迫して、被害者を死に至らしめたと述べている。
また六月二十九日付警察官調書第十五項では「右手で善枝ちゃんの首を上から押えつけてしめながら」姦淫をし、その結果死に至らしめたと述べている。
七月一日付の検察官調書第四項においても「右手で女学生の首を締め、声を出さない様にしました。首と云ってもあごに近い方ののどの所を手の平が通る様に して上から押えつけ」て殺しましたと述べている。
指をひろげ、のどをつつみこむようにして圧迫した、あるいは、のどをつつみこむように指を広げしめた――これが自白にあらわれた殺害方法である。
しかし、これが真実本件の殺害方法であろうか。もし、これが真実間違いなく本件の殺害方法であれば、私達は、死体前頸部の皮膚表面に、これらの殺害方法に見合うところの痕跡、つまり、手掌面による圧迫痕、 指先による指頭痕、爪痕などを発見し得る筈である。
特に、力が比較的加わりやすい親指の指頭痕、爪痕が前頸部に残るものと考えてよい。
(三)しかるに、本件死体前頸部には指頭痕や爪痕などを、少しも見出すことはできない。指でしめたとすれば、当然予想される表皮剥脱痕も見当たらない。五十嵐鑑定人は第一審第四回公判において頸部に異常はないかとの質問に対して、「皮膚表面には何もございませんでした。」と証言している程である。
単に、喉頭部縁下方より上胸部にわたる圧迫液、下顎骨より舌骨部にわたる圧迫痕を見るのみである。(五十嵐鑑定書第四章の3)
(四)これはいったい何を示すものであろうか、なぜ、指を広げ、のどをしめたにも関わらず指頭痕、爪痕、表皮剝脱などが全く見当たらないのであろうか。
五十嵐鑑定人は、当審第五十四回公判において、たとえ親指と四本の指を広げて、親指と人さし指との開に首を入れるようなかたち、つまり、自白のような方法で首をしめた場合でも、親指による圧迫痕跡が残らない場合があり得ることを証言している。
しかし、この五十嵐証言には疑問がある。
指を左右に開いて、上から圧迫を加え、またしめつければ、掌部分以上に指先、とくに親指に力が加わることは明らかであるから、掌部分以外の、つまり指による圧迫真が残るとみるのが自然である、同証言ではなぜ指痕が残らずに済むのか、その理由は何ら説明されていない。
私達は、五十嵐証人とは異なり、自白に述べられているような殺害方法をとった場合には必ずやそれに見合うところの痕跡———指頭痕、爪痕などが死体前頸部に残るものと考える。
ところが死体にはそれにみあう痕跡が残らないということは、本件の殺害が自白にあるような方法とは異なるところの別の方法によってなされたものであることを明白に物語るものと云わざるを得ないのである。
頸部には、後に述べるように、索伏痕が存在し、また前述のとおり圧迫痕跡が存在するので、本件の殺害方法は単純な圧頸による扼殺でなく、おそらく巾の広い索状物による絞頸と前○(印字不鮮明)部や上○(印字不鮮明)部など比較的巾の広い純体による圧頸とを合わせ用いた複雑な方法の殺害が行なわれたものに違いない。
上田鑑定人が「右手の親指と他の四本を両方に拡げて女学生の首に手の掌が当るようにして首を締めたという石川一雄の供述に当る所見は、以上の死体所見からは全く考えることはできない。」と述べるのはこのためである(上田鑑定書(C)頁⑪)。
(続く)
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○引用した調書の最後の行で、( )=カッコの中にさらに( )=カッコが使われている(引用は原文ママ)。
以前読んだ、「日本語の作文技術:本多勝一著」によると、このようなカッコの使い方はけっして行なってはならぬらしい。しかしそれは常識的な日本語の文章において、ということであり、こういった裁判記録はいわゆる通常の文章とはかけ離れた、論理的な書物とは真逆なところへ位置しているゆえ、このような使われ方がされているのであろう。ちなみに氏の著作物(実戦・日本語の作文技術)の中には、某事件の判決文を題材に、裁判記録がなぜこうも分かりづらいのかを分析してみせる項目があり、読み進めるうち抱腹絶倒となる逸品が載っている。かれこれ30年以上売れ続けている「日本語の作文技術」、「実戦・日本語の作文技術」は必読の書である。
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○ところでこの十数年、老生はその余暇を古本のセドリに当ててきた。ここでいうセドリとは古本を転売する目的で本を買う行為である。
たんまり集めた古本たちをたまに検索し、その価値の動向を探ったりする。
この「少年のブルース」は、東村山市にある"なごやか文庫"という店で二百円を払い購入した。
試しにこれをネット検索すると、なかなかのレア本であることが判明、取引価格は一万円前後となっていた。
いい感じである。