アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1288

狭山事件公判調書第二審3982丁〜】

         弁論要旨(昭和四十八年十二月更新弁論)

「自白維持と部落差別の問題」      弁護人=青木 英五郎

                                            *

   被告がした虚偽の自白の維持が、「("善枝ちゃん殺し"を)自白すれば十年で出してやる」、「警察官は弁護士と違ってウソは言わない」といった長谷部警視の言葉、「男と男の約束」を信用したことによるものであることは、被告が当審でくり返し述べている。しかも、彼が十年間刑務所にいれば出られると思い込んでいたという事実は、被告と浦和拘置所で同房にいた証人池田正士の証言(当審二十八回公判)によって裏付けられている。そうであればこそ、彼は判決言い渡しの直前、中田主任弁護人から「判決は死刑の判決になるだろう」と聞かされても、「にやりと笑って、いいんです、いいんです、と言った」のであるし(証人中田直人の証言、当審六十一回公判)、したがってまた、池田正士証人の証言および浦和刑務所拘置区長であった証人霜田杉蔵の証言(当審二十八回公判)によって明らかなように、死刑判決の言い渡しを受けてからも、被告の態度に変化は見られなかったのである。このことは、われわれの常識からは到底考えられないところである。わたくしはこの事件の弁護人になった当初から、この疑問を持ち続けてきた。初めの頃、この問題について、京都の部落解放同盟の青年諸君と討論したことがある。彼らは、警察の言うことを信用するなんて、そんなアホウなことがあるか、とゲラゲラ笑ってしまった。解放運動の進んでいる地域では、おおよそ考えられないことなのである。彼らは、警察権力とは何であるかを知っているからである。しかし、石川被告の場合には、現実にそれがあったのである。そのことを理解するためには、この事件の根底にある部落差別の問題を取り上げざるを得ないのである。

   被告の差別された環境の中での生活史、それが原点とされなければならない。これまでの証拠調で明らかにされたもの以外に、さらに今後の証拠調で補充する予定である。石川君の生活史というような事柄をこの法廷で述べることは、わたくし自身まことに心苦しいことであるし、それをこの場で語られる石川君にとっては、なおさら胸の痛む、身を切られる想いのすることであるに違いない。しかし、敢えてそれを述べる理由は、裁判官が、この事件につながる部落差別の実体、それに起因する自白維持の真相について、十分な理解をもってもらうことを念願するからである。

   彼の家庭は非常に貧困であった。彼は、小学校も満足に行っていない、いわゆる「長欠児童」であった。彼の学籍簿によって出欠日数を示してみる。

(・・・と、ここから調書に印刷されている印字が薄くなり、3983丁末尾から3984丁はほぼ解読不能となる)

(写真は3984丁。したがって次頁3985丁より引用を再開する)

   ・・・という漬物屋に住み込みで一年半ほど働き、実家に帰ってからは土方仕事をしたり、十八の年からはアメリカ軍の基地で働き、その後、東鳩の工員、さらに土方、石田豚屋の仕事などをして、この事件で逮捕される約一ヶ月前から鳶職の手伝いをしている。手に職をつけることの出来なかった被告は、このように転々と職場をかえているのである。

(続く)

                                            *

○引用を断念した公判調書3984丁は、それでも無理をすればその一部が読み取れなくもない。紙面に薄っすらと残る印字を、持てる限りの眼力を発揮し解読したところ、少しだけ文章内容が判明する。

   「石川被告の家へ担任教師が家庭訪問に来たことは一度もない・・・・・・見放されていたと思われる」

   「被告を含む低学力の生徒は"お客さん"と呼ばれた」

   「(被告を含む低学力の生徒は)教師が何を教えているのか、自分は今、何を学習しているのかわからないまま過ごす・・・」

と、まあこんな具合である。