【狭山事件公判調書第二審3975丁〜】
弁論要旨(昭和四十八年十二月更新弁論)
昭和四十八年十二月八日
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狭山事件の見方
弁護人=佐々木哲蔵
(前回より続く)
なお、阿藤君の場合は二、三日で自白した。松川事件の赤間君の場合でも十二日目に自白している。これらの例に照らすと、石川君が実に一カ月間頑張っているということは、それだけでも石川君の無実の証になるとすら思われるのであります。すなわち石川君の捜査官に対する自白調書がこま切れ的であり、散文的であるが、全般的にみて一見、石川君の言いなり放題のままに書かれているような外観を呈していますが、だからと言って、これは決して捜査官の作為なき石川君の自発的な供述をそのまま記載したものと見るべきものではない。石川君のこの自白調書も亦(また)、これまでの多くの冤罪事件の先例と同様、捜査当局の強制、誘導による虚偽のものであることに何ら変わりがないことを申し上げておきたいのであります。
なお石川君の自白調書での特色として、真犯人であれば当然に触れるはずの問題、あるいは、当然に然(しか)るべき説明があるべきことについて、何ら触れられていないし、説明がない点である。首の麻縄、玉石、棍棒、カバンの下の牛乳瓶やハンカチのことなどがそれである。これらのことは、石川君としても、何ともでたらめの言いようがない、捜査官もヒントの与えようがないもの、いわば双方の合作不能のものだったと思われる。流石の警察もこれはそのままにせざるを得なかったのである。これは、あるいは先ほど述べた八海事件のいわゆる大筋論を裁判所に期待しているものかも知れないが、それはとにかく、この点では、石川君の自白調書は、八海事件の場合よりももっと程度の悪いものとも言い得ると思うのであります。
次は、犯行の時刻、死亡推定時刻に関する疑問であります。石川君の場合、終始時計を持っていない、時計的根拠がないのであります。ところで自白調書では「時間ははっきりしないが」と言わせながら、何時何分頃と言わせたり、「約三十分くらい、現場で考えていた」などと言わせている。これは明らかに誘導であります。
右の時刻に関する疑問につき三点を挙げたいと思います。
その一は、石川君の自供によれば脅迫状を届けたあとは、自転車もないし、現場の後始末などで相当忙しいのですが、届ける前の時間が余り過ぎるという点であります。これは脅迫状を届けた時刻が、午後七時半頃であるということを動かないものとしてのことですが、これは、駐在所への届け出が午後七時五十分頃であることからも動かないものとみてよいと思いますので、その建前で申し上げるわけであります。第一審判決は出会った時刻を、午後三時五十分頃としているが、殺した時刻は判示していない。しかし判文上からは、出会った時刻からそれほど長い時間ではない。判文上の距離的、場所的関係からみて、殺した時刻を一応、四時二十分頃としよう。そして、石川君の自供通り、殺した現場で三十分くらい考えたとしよう(実は、これは空白時間を埋めるための警察の誘導であるが)。それから死体を百五十メートルくらい自分で運んでいって芋穴に吊るした、それまでの時間を一応三十分くらいとみましょう。それでも時刻は五時二十分頃である。それから自転車に乗って脅迫状を届けに行く。途中、カバン、教科書などを埋めたにしても、これに要した時間はいくらもない。これを三十分か四十分とみても、午後七時半までには常識上、一時間ないし一時間半の空白がある。だいたい、殺したあとは後始末に一刻を争うのが人情である。五月一日の午後四時とか五時とかいえば未だ白昼時である。芋穴の辺りは周りから見通しのきくところである。人を殺しておいてその現場で悠々と三十分も考えたり、見通しのきく場所でのろのろゆったりと死体の逆さ吊りの曲芸などをするのは、まず考え得られない。石川君の言うとおり事を運んだにしても常識的には、ただ今申した程度の空白の理由はどうしても残るのである。しかも、午後四時二十分以降は、雨は本降りである。このとき石川君は野外にいて、この空白時間をどうしていたというのであろうか。この間のことについて何ら説明がないことはそれ自体、石川君の自白の真実性を否定するものであります。
なお、八海事件の場合でも、吉岡自白で、やはり説明のつかない二時間くらいの空白(犯行当夜のことで)があった。これは、吉岡自白がでたらめであったことによるものであることが、後日判明したのであります。
(続く)
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○佐々木哲蔵弁護人は狭山事件の冤罪性を訴えるため、八海事件の事例をその比較・参照のため持ち出しているが、この事件は、真犯人が無関係な人々を道連れにし司法の審判を仰ぐという特異な展開をみせた事件であり、人間(真犯人=吉岡)とはここまでその性質が歪むものなのかと考えさせられる事案である。
八海事件で共犯説に立って死刑判決を書いた藤崎裁判官という方がいた。弁護人と検察官、両者の主張・説明を裁判長が比較、両者の「心証形成」を天秤にかけるわけである。同じ証拠をみても、判断者の視点の違いによって、まったく正反対の事実認定が出てくることが目の当たりにできる、冤罪事件を晴らす側にとって恰好の素材となる誤判事件である。