【狭山事件公判調書第二審3973丁〜】
弁論要旨(昭和四十八年十二月更新弁論)
昭和四十八年十二月八日
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狭山事件の見方
弁護人=佐々木哲蔵
(前回より続く)・・・・・・それは狭山事件の場合、石川君の脅迫状はボールペンで書いた、訂正もボールペンで書いた、ということになっている。ところが当審の鑑定の結果、訂正部分はボールペンでなく、万年筆ないしペンによるものであることが判明したのである。そして石川君の自白調書では善枝ちゃんの万年筆は使っていないとはっきり言っているし、他に万年筆、またはペンを持っていた証明は全くない。これは八海事件の前掲の例とよく似ていると思います。この鑑定の結果は、石川君の本件善枝ちゃん殺しの自白が信用出来ないことの有力な反証であります。この点で私は、当裁判所が、八海事件の前記の轍を踏むようなことは絶対にないと、かたく信ずるものであります。
次は、石川君の偽(いつわ)りの自白が形成された過程について一言申し上げます。
まず八海事件の阿藤君の場合の実情ですが、警察の取調べとしては、まずやったか、やらないかの結論の一言だけを求めてしつこく繰り返す、阿藤君の場合は拷問が加えられていますが、苦し紛れにとうとう実はやりましたという。途端に取調官の態度ががらりと変わった。衣服のゴミを拭いてくれる。椅子に座らせてもらう。そして熱い「ウドン」を一杯ご馳走になった。その時の美味しかったこと、何とも言い得なかったと、彼は言う。こうして一旦やったということを認めたあとは、警察がヒントを与えて、阿藤君が見当をつけて適当に述べる。後は両者の合作である。
最高裁裁判官をして、「記録を反復熟読すれば被告人の自白は真実に触れこれを如実に物語っている」とか、あるいは被告人の供述は「犯行現場に赴いた者でなければ到底語り得ないことを、すらすらと述べている」ということで、痛く感激させ、無実の者に死刑の判決をさせているものは、実はみんなからっきしの嘘、まっかな嘘であったのであります。
(ここから公判調書の印字が薄れ、下に掲載した画像のとおり解読不能となる:3974丁後半・8行分)
(次の3975丁へ進んだところ印字は通常の状態へ戻っていた。しかし3974丁後半部分をスマホで撮影し様々な調整をほどこすと、おや、読めなくもないなという事実が判明する。したがって掲載した画像を眺めながら調書を読み理解に努めたい)
・・・(石川君の場合も)阿藤君の場合と同様、初めは「やったか、やらないか」だけの執拗な繰り返し、そして、やったと認めた後は石川君の創作、これに対する警察の手持ち資料による修正、がなされ、一読、真犯人でなければ語り得ないような内容の合作になった。このような経過は八海事件の前記の例などから見まして、十分にあり得ることと考えてよいと思うのであります。右の修正の例として、二、三を挙げますと、始めタオルで絞めたのが、手で首を押さえつけたことになる。善枝ちゃんがノコノコついて行ったのは「凄みのある言葉のため」とまとめられる。動機が、一番終いの調書で整理されるなどは、その著例と言い得よう。
(続く)