アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1270

 昨日、石川一雄氏が亡くなられた。

    再審請求が認められず、したがって彼は狭山事件第二審判決=無期懲役を経ての仮釈放という扱い、身分のままである。

   無実を証明し、今は亡き両親の墓前でそれを報告することが目標であった彼は死んでも死にきれまい。

   この狭山事件の裁判が、ちょっとおかしいなと感じたならば、やはりそれは声に出さなければいけないかも知れない。

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狭山事件公判調書第二審3914丁〜】             

                             「第七十回公判調書」

  別紙一  「弁護人  宇津泰親の意見」(前回より続く)

   橋本弁護人も先の意見では相当いろいろと自白調書の分析に苦心されまして、特に脅迫状をどこで書いたか、訂正をどこで行なったかという自白調書の内容について、自白調書の混迷ぶりを指摘しているのでありますが、我々はその混迷がどこから来たかということについては、これは石川君の混迷ではなくて、捜査当局の混迷が反映しているのだと見るのが正しいと考えております。指摘しておかなければならないのは、記録で二二七三丁ですが、そこに原検事の七月二日付調書がありますが、ここにはなるほど、石川君は鞄を捨てるときに鞄から筆入れが飛び出してきた、開けてみたら鉛筆やなんかと一緒に万年筆が入っていた、万年筆の色はこういう色だと述べております。しかし、それは脅迫状を書き直したという時点からずっとずれた後の問題でありまして、むしろその万年筆で訂正していないという根拠にこそなれ、訂正にその万年筆を使ったのではないかというようなことには結びつかないのであります。結びつけるというようなことは、これはもう牽強付会のことで到底許されないと思います。脅迫状の筆跡鑑定、それ自体が重要な意味を持つことは勿論でありますが、こういう、卑近な言葉で言えば脅迫状の成り立ち素性、これを無視して論ずることにどれほどの意味があるかということをお考え頂かねばならないと思います。私が強調したいのは、既に脅迫状の訂正を巡る石川君の供述は根底から覆ったと見なければならないということであり、その波及するところは石川君の自白の体系全体に及ぶということです。

   第二に、封筒の糊付けの問題でありますが、これも我々が封筒の形状をいろいろと研究したときに気付いたことから発するのでありますが、証拠物の封筒の封緘部分を見ますと、封筒自体は市販の二重封筒、白封筒のようでありますが、我々日常経験しておりますが、その二重封筒の糊付け部分は、水分を与えればすぐ粘るようになるが、乾いておるときには粘らないようになっておる。通常アラビヤ糊が塗布されておりますが、どうも封を切られておりますから完全な形には残っておりませんが、それをよくよく見ますと、そのアラビヤ糊部分に唾液その他の水分を与えて粘らしただけなのか、あるいはそこにまた別の澱粉質のやまと糊などを塗布して粘らしているのか、我々はその問題の解明のために鑑定申請を致しました。それで三木、大沢鑑定書が証拠としてございますが、糊付けについては大沢さんが担当されたということで、大沢証言を求めているところであります。必ずしも明確な証言が得られたとは思いませんが、ここだけは明確に証言されておりますが、この証人は予備作業として市販の封筒を買って来られたそうで、その封筒の糊付け部分の成分分析は全部アラビヤ糊であったという証言をなさっております。しかし、証拠物となっておる封筒の封緘部分を切り取って分析した結果では、澱粉質の存在が認められたということです。とすれば、これだけでアラビヤ糊の他に別種の糊を塗布して封緘したとは断定はできないけれども、別な糊をさらに塗って粘らしたのではないかという我々の疑問はまだ残されているのであります。つまり私が言いたいのは、このことも自白調書の内容が虚偽架空のものであることを同時に疑わしめることではないかということであります。

(次回へ続く)