(老生が愛してやまない府中三億円強奪事件が、狭山事件の法廷で触れられているとは思いもよらなかったが、その強奪犯が書いたとされる脅迫状の鑑定を依頼された高村証人は、それ故に鑑定の世界においてよほど大物であったことが推察される)
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【狭山事件公判調書第二審3833丁〜】
証人=高村巌
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中田弁護人=「あなたは、三億円事件に関して鑑定されたことがありませんか」
証人=「これは正式に鑑定したことはありません」
中田弁護人=「警視庁から依頼を受けて調べられたことはありますか」
証人=「見てくれということを言って来られたんですが、私としてはまあ預かるだけは預かって、そしてその結論は出さなかったわけです」
中田弁護人=「それは問題となった草野さんという人の筆跡でしょう」
証人=「名前は誰だったか分かりません。とにかくその比較対照の文字が来ておりました」
中田弁護人=「つまりあの事件ではのちに誤認逮捕と言いますかね、問題になったことがありますね」
証人=「はい」
中田弁護人=「その人の文字でしょう」
証人=「その人のものじゃなかったかと思います。名前のところは隠してきていましたから。手紙でしたがね」
中田弁護人=「あなたはそれで筆跡は同じだという趣旨の、いわば意見を述べられたんじゃないんですか」
証人=「いや、そんなことはありません。何か週刊誌でそういうようなことを、そのほかに私のことでいろいろのことを誤り伝えられて、非常に私は迷惑しておるんで、私はそのことについてこれから本を書いておるわけです。近いうちに本を発表しますが」
中田弁護人=「そうすると何かあなたは捜査を受けましたね」
証人=「ええ、受けたです」
中田弁護人=「何かその週刊誌によるならば、かなり破廉恥と考えられるような書き方をしてあったわけですが」
証人=「そういうわけです」
中田弁護人=「それは事実に反すると」
証人=「事実に反するです」
中田弁護人=「あれであなたは逮捕されたんですか」
証人=「ええ、逮捕されたです」
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山梨検事=「先ほど証人がちょっと言いかけたことなんですが、人の文字の違いは人の顔の形が違うようなものだというようなことをちょっと仰ったんですがね」
証人=「はい」
山梨検事=「と、甲の人の顔と、乙の人の顔を識別するというのに筆跡鑑定では似ているんだという風に聞きとっていいわけですか」
証人=「はい」
山梨検事=「その違いというのは言ってみれば直感に近いようなもので、この直感はまあ要するにそれが経験と言いますか、長年の鑑識力ということになるんだと、こういう・・・・・・」
証人=「ちょっとあれですが、ご承知かと思いますが、東京都で水を識別する人がおります。この人は多摩川の水と、江戸川の水と、利根川の水とを持って来てそれを匂いを嗅いだだけで識別する、これは絶対に間違いないわけです。また、酒の専門家は酒を口に含んで吐き出して、これは灘の酒である、これは秋田の酒である、これはどこどこの酒であると、その酒の出所をちゃんと突きとめるわけです。これが間違えるようでは専門家ではないわけです。私は今まで鑑定をやっておりまして、実験的にはやっぱり間違えておらないわけです。ですから私は法廷ではこの点では自信を持ってやっておるわけです」
山梨検事=「それをまあ、口で説明しろということになると、秋田の酒はどういう苦味があるとか、甘みがあると言っても中々これは説明がつかないということにもなるわけですね」
証人=「はい」
山梨検事=「だから言ってみれば、いわゆる指紋だとか血液型と筆跡鑑定は同じものだという風には言えるものなんですか、そうは言えないものですか」
証人=「そのようには言えないと思います」
山梨検事=「あるいはご存じかも知れないんですが、先生の鑑定に対して北海道の戸谷富之という人がさらに鑑定をしておるんですが、あなたの鑑定と戸谷鑑定とが一緒に検討されたというのはこの事件以外にもありますか」
証人=「ええ、ございました。前に白鳥事件関係だと思いました。やはり判か何かの、文書だと思います、それを鑑定したことがございます」
山梨検事=「その事件であなたはやっぱり鑑定証人として呼ばれたことがございますね」
証人=「ええ、ございます」
山梨検事=「記録によりますと、それは昭和三十九年の九月二十四日頃となっているんですがね、その証人として喚問されたのと、この事件であなたが鑑定を委嘱されて鑑定をおやりになったのは、前後はどうでしょうか」
証人=「これはその後だと思いました」
山梨検事=「ですから、太田事件であなたが鑑定人として呼ばれた以後にこの事件の鑑定を依頼されたということですね」
証人=「そうでございますね」
山梨検事=「で、前の太田事件の時に、いわゆる戸谷鑑定人が、あの人の理論で相同性、相異性、希少性、常同性ですか、こういう科学的な方法でやるんだということは当時ご存じだったですね」
証人=「ええ、知っていました」
山梨検事=「まあそういうことは当然この鑑定をやるについても頭に入れてやられたわけですね」
証人=「ええ、もちろんでございます」
(続く)