【狭山事件公判調書第二審3830丁〜】
証人=高村巌
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中田弁護人=「私どもは、縦書きをすることと横書きをすることがかなりあって、つまり、双方に慣れているということが言えると思いますがね、そういう場合に今の同じ人が、縦書きの場合、横書きの場合にどういう配字関係になるというようなことを研究された、何か資料みたいなものがあるんでしょうか」
証人=「それはまだやっておりません」
中田弁護人=「あなた自身はやっておられない」
証人=「やっておらないです」
中田弁護人=「他の人に何かそういう資料がありますか」
証人=「誰かやった人があると思いました」
中田弁護人=「今それがどこの何という人かについては分かりませんか」
証人=「分かりませんが、いろいろその報告が出てきております」
中田弁護人=「そうすると、やがてその研究が進むならば縦書きと横書きについても、つまり異同を判別する方法が恐らくは知られるようになるんでしょうね」
証人=「その配字の関係に参考になることはあると思いますね」
中田弁護人=「先ほどもあなたはちょっと仰ったように、配字だけじゃなくて、運筆についての若干の違いも法則的に出てくるということもありますからね」
証人=「多少はあります」
中田弁護人=「鑑定結果補遺の中に、二〇一九丁の一行目からですが、『筆者が二十五才当時に書いた筆跡に対し、三十才当時に書いた筆跡を比較すれば、五年の経過によってその運筆技術は洗練されていわゆる枯れを生じ伝々』と、そういう字句がありますね」
証人=「はい」
中田弁護人=「ここで二十五才と三十才という年令を、たとえばとしてひかれたのは何か意味があるのでしょうか」
証人=「だいたい二十五才に人間がなりますと、だいたい字は普通その子供のときの字とは違って、ある程度まで固まってくるわけですね。ところが十二、三才くらいの字ですとまだ固まっていないわけです。ですから二十五才当時に書いたものはだいたい固定しているけれども、三十才、また五年、年が経つにつれて、普通の場合にそれに枯れが生じて、運筆技術が洗練されるということが考えられるわけです。また実験的にもそういう結果が出ております」
中田弁護人=「そうするとだいたい二十五才前後になると人間の筆跡というのはだいたい固まると、そういうことになるわけですね」
証人=「はい」
中田弁護人=「それは実験的にも出ていると仰ったんですが、たとえば教育の程度なり、ものを書く習慣の程度なりによってその調査の結果、そういうことが言えるということなのでしょうか」
証人=「それはですね、特にその教育のある人とない人に分けて研究したことがありませんが、中に学校へ行かなかった人間もおるわけです。そういう人間につきましても検査したことが以前にあります。で、だいたい二十才から二十五才まで頃になると、だいたい字は固定してくるというのが普通のように思われます」
中田弁護人=「それはかなり書く習慣を持っていなければ、そういうことはやっぱり言えないのではありませんか」
証人=「書く習慣を持っていなくても、子供の時の字とはある程度それなりに、下手は下手なりにやっぱり固定しているということが言えるようですがね」
中田弁護人=「そうすると、あなたが二十五才という年令をここで言われたのは、いわばそれまでの書く量の如何に関わらず、むしろいわば肉体的な関係から生じてくるという風に考えておられるわけですか」
証人=「いや、その原因は私は分からないと思います。ただ、今までの私の知り得たところでは、その原因は何だか分からんけれども、そういったような結果が出ておったですね」
中田弁護人=「そうすると、たとえば二十五才頃になってからいろいろな字を書きだして、その人が年と共に文字の形態や何かがかなり変わってくるというようなことも当然それはありますね」
証人=「あります。こういう例があります。二十五才頃になりまして非常に自分が悪筆であるということに気が付いて、今までその人が悪筆であったのは、字は符号だから通じればいいと思っていたわけです。数学が得意な人だったですけど、どこに出してもみっともない字を書いて笑われる。小学校の時も下手だったと言われるので非常に字を稽古したわけです。そして書きましたところが、四、五年しましたところが見違えるような字になりまして、それで固定したという例はございます。で、私の言っておりますこの二十五才伝々というのは、だいたい、たとえばの話で、一般論であります。例外はたくさんございます」
中田弁護人=「今言われたような例はもちろんたくさんあるわけですね」
証人=「はい」
(続く)