(脅迫状)
○今ここへ引用している公判調書(第二審)の丁数(頁数)を見ると三千八百丁を超えており、その内容は老生の脳では保管しきれぬほど膨大なものである。加えて、我が脳の記憶装置は"ところてん方式"を採用しており、新たな情報が入力されると、同じ量の古い情報が排出(消去)されてゆくという仕組みをとっている。
さて、法廷では筆跡鑑定に関連する展開を繰り返し見せているが、それはなぜか、を確認しておきたい。
『狭山事件における決定的証拠は、何と言っても筆跡である。なぜなら被害者の中田善枝さん方に届けられた脅迫状は犯人が作成したものと考えられているのだから、石川さんが犯人であるとすれば、石川さんの筆跡と脅迫状の筆跡が同一人の筆跡でなければならないからだ』
『本事件の捜査では、脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡が一致したので、石川さんを犯人と推定したのだという形がとられている。石川さんは一九六三(昭和三十八)年五月二十三日逮捕されたが、逮捕状を裁判所に請求する際の資料の中に、石川さんの筆跡が同一だとする埼玉県警鑑識課員の報告書が添付されていた。この段階で、石川さんを善枝さん殺しの犯人だとする証拠は何もなかったから、鑑識課員による右の報告書は逮捕状発付の唯一の決め手となったのである』(松本建男弁護士)
なぜ筆跡鑑定の考証が重要か、これで明快に理解できしかもこれは脳に保管出来そうである。
【狭山事件公判調書第二審3806丁〜】
証人=高村巌
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中田弁護人=「あなたの鑑定書に即して若干伺いたいのですが、鑑定結果の中に"特異な文字形態と運筆書法"という言葉があるのですが、あなたの鑑定書の中にはそのほかにも"運筆形態と文字形状"という言葉なり"極めて微細の点における特異な運筆軌跡"といったような言葉があるのですけれども、たとえば"文字形態と運筆書法"というのと、"運筆形態と文字形状"というのは、言葉としては違うんですが、そのへんの関係はどうなんでしょう」
証人=「大体似ておりますが、分かるように重複して言ってるような面もございます」
中田弁護人=「文字形態と運筆書法というのは一体同じことですか、違うことですか」
証人=「運筆書法というのは、違いますね、これは形態と」
中田弁護人=「この運筆書法というのは、筆順であるとか、筆速などをも、すべて含んでいるんですか」
証人=「それはもちろん含んでおります」
中田弁護人=「前回の尋問の時に、字画構成という言葉が使われていて、角度だとか、それからまあ、その縦線と横線の関係などというのは、これは文字形態のほうに入るわけですか」
証人=「ええ、そうでございますね」
中田弁護人=「それから、ちょっと言葉にこだわるようなんですがね、筆跡渋滞という言葉と、運筆渋滞という言葉があるんですがね」
証人=「同じです」
中田弁護人=「これは同じと考えていいんですか」
証人=「ええ、同じです」
中田弁護人=「大体そういうことを前提にしまして、若干お尋ねしますが、鑑定結果補遺の初めのほうに(二〇一八丁おもて)"用筆および用紙等の相違に基づく物的原因によって支配され、その結果、字形の形態に変化を生ずる"と、こうありますね」
証人=「はい」
中田弁護人=「もちろんあなたのこの鑑定書の作成にあたっては、被検文書はどういう用紙を用い、どういう用筆であったかは調べられたわけでしょう」
証人=「それは調べております。それは調べると言いましても、硬筆であるか、毛筆であるか、クレヨンであるか、鉛筆であるかという点によって違うんで、その硬筆を再分類して、万年筆であるか普通のペンであるか、そういうようなことは大してあまり影響はないと思います。ただ毛筆の場合と、それから万年筆を含めたペンの場合とでは、違います。それからまた鉛筆の場合も違います。しかしその万年筆と普通のペンですね、厳格に言うと多少は違いますけれども、大体特徴は同じように出ているということです」
中田弁護人=「万年筆とボールペンの場合は、どうですか」
証人=「ボールペンでも大体同じように出ておりますね」
中田弁護人=「あなたはこれまでに万年筆とボールペンの違いを研究されたことがありますか。筆跡として」
証人=「ええ、しております」
中田弁護人=「同じように出るものですか」
証人=「ええ、大体同じように出ます。ただボールペンの場合には万年筆よりは、その筆圧が少し加わるわけですね、その点がちょっと違うわけです」
中田弁護人=「筆圧が加わる、そのほかにも、たとえば万年筆なりペンなりは、いわば先が分かれていますね、筆圧如何によっては二本の線条に見えることがあるでしょう」
証人=「ええ」
中田弁護人=「ボールペンはむしろボールペンですからね、その点は軌跡が相当違ってくるんじゃないんですか」
証人=「軌跡そのものは線がそのように分かれることがありまして、太くなることがございますけれども、軌跡としてはその鑑定をする上においては、あまり毛筆とペンのような相違はないわけです」
中田弁護人=「毛筆とペンほどの相違はないが相違はあるわけでしょうね」
証人=「多少はあります」
中田弁護人=「用いられているインクも違うことですからね」
証人=「ええ、多少はあります」
中田弁護人=「私がそういうことを伺ったのは、あなたが前回仰っておられるように、裁判所に鑑定書を提出したのが百くらいあると言っておられたんですが、私もあなたの作られた鑑定書を一、二、本件以外で拝見したことがあるんですがね、あなたは通常、外観的検査といったようなことを鑑定書に記載されるのが普通じゃないんですか」
証人=「ええ、外観的検査を書くこともありますし、書かないこともあります」
中田弁護人=「たとえば用紙用筆などの違い、本件三つの被検文書の中にはその違いがあったと私は思いますが、紙質も違うでしょうし、そういうことによって鑑定上留意すべき問題が当然あろうから、外観的検査というのをするのが普通でしょう」
証人=「外観的検査はしております。しておったから、したものを全部書くとは限らないんです。全部書いておりましたら三ヶ月くらいかかっておりますからこれ全部書いておったら恐らく厚さがこれの二、三十倍の厚さになってしまうでしょう、もっとなるかも知れないですね。ですから読んでいただくのが大変ですから、それを濃縮して、まあ自分ではやっておるつもりなんです」
中田弁護人=「いや、濃縮されたのは分かるんだけれども、被検文書の中に用紙用筆に違いがあるならばそれをどう見るかというのが、いわば鑑定書の前提ともなることではありませんか」
証人=「私としては結論を主として出しておりますので、もしお問いがありますればそれはお答えをするということで、鑑定書には書くこともあり、書かないこともあるんですが、以前には書いておりましたけれども、あまり鑑定書が長くなるので少しでも短くしようというところから最近では書いておらないわけです。最近と言いましても、もうよく覚えておりませんが、まあ五、六年、七、八年ですか、書いていないように思いますけれども」
(続く)