【狭山事件公判調書第二審3794丁〜】
「第六十七回公判調書(供述)」
証人=新井千吉(五十八才・農業)
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福地弁護人=「農道にはいろいろなごみなどがよく落っこちてると思いますけれども、例えばビニールの袋だとか、新聞紙だとか、あるいは板切れとか、そういうことがあると思いますが」
証人=「家(うち)の場合には家の専用の農道でしたから紙一つ、草一本、五月の事件当時には恐らくなかったはずです。撫でるようにきれいにしておくものですから。個人の農道ですからねぇ、きれいなはずだったんです」
福地弁護人=「その農道はいつ頃出来た農道ですか」
証人=「そうですねぇ、六反九畝といいましても二度に畑を買ったもので、下の二反五畝は後から買ったもので、いつ頃から農道はあったものか、その頃はよそ様の農道だったものですから、自分の生まれない以前からあったものかどうか、以前のことは分からないんです」
福地弁護人=「あなたが覚えておられる限りで結構ですけれども、農道をつけ変えたようなことはないですか」
証人=「以前の人が、土地を売るくらいですから非常に荒らしておったんです。農道というのはどこにあるか分からない様子で、そのまわりにお茶もあったんですが、売るくらいなところですから農道も汚れておって、自分と親父が農道の格好に見せるようにして作って通ったんです」
福地弁護人=「それは昭和何年かに四百何十円かで買った当時の状態」
証人=「ええ、非常に荒れていたわけです。自分で買ってからきれいにしたということですから」
福地弁護人=「そうすると念を押しますけれども、あなた方が、お父さんとあなたがきちんとされた農道ですか」
証人=「ええ。まあ一生懸命その当時は上の畑は山だったんで開墾地ですから非常に荒れていたと思いました。非常に苦心をしてきれいにして作物を取ったんです」
福地弁護人=「泥を高いところから運んだりしたんですか」
証人=「多少は動かしましたね」
福地弁護人=「高さにしてどの程度の深さの土を低いところに移しておりますか」
証人=「低いところで二尺くらい、穴が開いてたり、篠が生えて、高かったり低かったりして、整地したんですが」
福地弁護人=「あそこら辺の農道や農道に接近している畑のことを言うんですが、その辺りの土質と言いますか、土の具合が、どんなものでしたでしょうか」
証人=「土の具合と言いましても、農家の方でないとよく分からないと思いますけれども、上の畑は山をおこした所ですから、上土が五寸くらいしかなくて上も下と同様赤いんですけれども、赤土でしたね。下のほうは本当に深いところでも何を作ってもとれる土で、上は大根や牛蒡はとれない土で、上と下では違いましたね」
福地弁護人=「上と下というのはどういう基準で仰るんですか」
証人=「二度に買ったものですから、上のほうの四反いくらというのは山をおこした畑なんですから」
福地弁護人=「この死体が発見された農道は上と下との関係でいうとその間ですか」
証人=「はいそうですね、畑の真ん中ですから」
(続く)
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○日常生活において、通りすがりに見かける畑や農道などに興味をひかれることはほぼない。だが証人が語っているように、荒地を整えて農地として活用できるまでの過程、苦労を知ると、これは今までとは違った視点でそれを眺められるという発見に気づく。さらには畑の徹底した手入れを自負する証人の熱い姿勢には、不法投棄されたごみを見てもなんら無関心になっている老生は頭が下がる思いである。
この事件が起こらなければ、証人:新井千吉と父による現場付近の荒地に関する開墾話を知ることはなかったわけであり、狭山の郷土史的観点からみても氏の証言は興味深い。