【狭山事件公判調書第二審3760丁〜】
八幡敏雄による鑑定
(三)「同地質(実験場)において、当年二四才前後の男子(土工)が、『昭和三十八年五月四日付司法警察員警部補:大野喜平作成の実況見分調書』記載の通りの穴を掘り、身体一五四.四センチ、体重五四キロの女性死体を埋没し、同じ土質の土をかぶせて埋めた場合の、作業時間及び残土の量如何」
(三)について
実験は埋め戻しを、
(イ)ただ土を投げ込むだけで表層付近のみ、多少足で踏み固める式のやり方の場合と、
(ロ)土を投げ込んでは穴の中に入って足で踏み固め、再び上にあがってまた土を投げ込むというような動作を数回繰り返す丁寧な埋め戻しの場合と、二つの場合について行なった。
二つの場合共、掘り上げた土の重量は一.三〇〇瓧(キログラム)であったが、結果は前者の場合は二四七瓧(十九%、石油缶約十六杯分)の土が、后者(後者)の場合は九二瓩(七%、石油缶約六杯分)の土が残った。しかもこれは土以外の物体を埋めない場合の結果である。また、堀作と埋め戻しとに要した時間は前者では約三十分、后者では約三十五分であった。
但し火山灰土では一般に作業を丁寧にやれば締固め后の土量と自然状態の土量との比を1以下になしうるというのは土木施工法の常識であって、本実験でも後者の場合に、踏み固めが全層に亘って穴の中央部並に行なわれたならば、全土量が残土なしに穴の中に戻った筈だという計算結果が出た。
但し、こうするには穴の隅々まで時間をかけて相当丁寧に踏みつけなければならないのは勿論である。
(続く)
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狭山事件においてこの残土の問題も疑念を残したままである。農道に穴を掘り、そこへ人体を入れ埋め戻せば、当然その人体の体積に見合った土が余るわけだが、その余った土はどこへ消えたかということだ。この問題は第二審の判決では「残土はさほど多量ではなく、その残土も被告人が麦畑などにまき散らしたままになっていて、降雨によってその痕跡がなくなったものと推認」されている。しかし残土は少なくとも人体分と石油缶約六杯以上とされ、判決文が語るほど残土がそう簡単に降雨で消えるものか、疑問を感じざるを得ない。
(写真は部落解放同盟による残土の実験)