アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1219

狭山事件公判調書第二審3758丁〜】

                                    『鑑定書』

                                                                               八幡敏雄

                                        鑑定書

一、鑑定資料

    昭和三十八年五月四日付司法警察員警部補:大野喜平作成の実況見分調書。

二、鑑定事項

    (一)死体発見現場(埼玉県狭山市入間川二九五⚫️番地先農道)の土質(地質)と後記(三)の実験を行なう際の現場土質(地質)の同異及びその特質について。

    (二)通常、同地質の土中に、砂利(小石)あるいは二〇センチ×一三センチ、高さ一三センチ、重量四.六五キロの、いわゆる玉石などは存在しうるか。その可能性の存否、及び各理由について。

    (三)同地質(実験場)において、当年二四才前後の男子(土工)が、「昭和三十八年五月四日付司法警察員警部補:大野喜平作成の実況見分調書」記載の通りの穴を掘り、身体一五四.四センチ、体重五四キロの女性死体を埋没し、同じ土質の土をかぶせて埋めた場合の、作業時間及び残土の量如何。

    (四)降雨状況において右作業に要する時間及び、降雨のため右作業が困難となる場合の具体的状況など。

    (五)降雨状況において、右土質の変化態様(さらさらと流れるか、又は粘着性を帯有するかなど)。

    (六)降雨状況のもとでの右残土の流失の態様について(雨と共に流失してしまうか。流失の痕跡は明白に残るかなど)。

    (七)降雨状況で埋没完了後六〜七時間を経過して、仮に晴天で二日ないし三日を経過した場合、同穴の表面の土の状況について(なお、本件作業は通常のスコップによる)。

三、鑑定結果

    (一)について

       この地域一帯はいづれも立川ローム層に覆われており、その表層地質の構成が類似していることは関東ローム研究グループ著「関東ローム」の添付地図で明らかであるが、『現場の土質は黒色の柔らかい土で』の記述及び「現場写真11号」から見て、表層の腐植化の進んだ「黒ボク土」は穴の底近くまで及んでいるように判断される。

     これに対して、実験を行なった現場(狭山市入間川一丁目埼玉県農業試験場入間川分場構内)ではこの黒ボク土層は約三五糎で、その下部は黄褐色のローム層であり、黒ボク土の厚みが薄い。この場合、腐植化の進んだ土と進まない土とではその物理性にいくばくかの差があることは確かだが、しかし土層断面に見られるこの若干の差が以下の鑑定の結果を狂わすほどのものであるとは考えられない。

     因みに実験の時期(昭和四十七年六月七日)・ならびに降雨前歴は、共に死体発見現場の状況にかなり近いものである。

    (二)について

      風積性火山灰の成層の中に「玉石」の語で表されるような、しかも寸法と重量とから考えて密度が3に近いと推定されるような石が、自然の生成過程の中で混入することはあり得ない。またこの位置にあるローム層の中に河床で見られるような砂利(小石)が自然に存在することも考えられない。

(次回に続く)

                                            *

   「玉石」「棍棒」「ビニール片」「残土」という点について、逮捕された石川一雄被告はその自白の中で何ら触れていない。さらに被害者が持っていたはずの財布についても同様だ。財布に関しては、石川被告による自白の中で「被害者の身分証明書は三つ折財布に入っていた」と供述しているが、実際にはその身分証明書は手帳に入れてあり、供述した三つ折財布については一切確認されていない。

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    ○この写真を見ると玉石と遺体の位置関係が把握できる。