○ ずーっとこの公判調書だけ読んでいると危険である。昭和41年生まれの者が昭和38年に起きた事件の公判調書を読み、やがてその内容が昭和47年へと進行してゆく過程で、合間に免田事件や野田事件、梅田事件などの書物を拾い読みしていると、脳は昭和、昭和、昭和と"昭和責め"にされ、あたかも今、私が生きているのは昭和ではないかと錯覚してしまうのである。
近々、都内の駅では紙の切符が使えなくなる(スマホのGPS機能を利用し、実際に移動した距離に対する料金がスマホ決済されるという)などの噂を聞き、老生は恐怖で身体が震えたが、この症状一つとっても"昭和責め"にその原因があることは明らかだ。
したがって今ここで確認をしておこう。本日は2025年(令和7年)の1月2日であるが、引用している調書の日付は1972年(昭和47年)である。
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【狭山事件公判調書第二審3719丁〜】
(ここに載っているのは被害者宅に届けられた脅迫状に対する綾村勝次の鑑定である)
鑑定事項である「鑑定資料(一)と鑑定資料(三)の筆跡とは同一人の筆跡であるか否か」というのは、脅迫状の筆跡(一)と石川一雄被告が書いた調書の筆跡(三)が同じかどうかということである。
鑑定資料(一)
鑑定資料(二)
「鑑定結果」
一、鑑定資料(一)の筆跡と鑑定資料(三)の筆跡とは必ずしも同一人の筆跡とは認められない。
二、鑑定資料(一)の筆跡と鑑定資料(三)の筆跡とは、その独特の文字形態と筆順の上からみて、しかも比較的運筆の遅い点に大きな疑問が生じ、同一人の筆跡とは断じ難い。
「鑑定結果概説」
『筆跡は書写当時における用筆用具および用紙等の相違による物質的原因に大いに依存しその結果、字形の構成の上に大いに変化を来すものであることは、日常我々の経験して知っていることである。更に右の条件の相違が大なれば大なるほど、その結果に書写された筆跡には格段の変化を生ずるであろう。特に書写当時における筆者の心理的状態、すなわち喜怒哀楽、健康、不健康、覚醒状態等の筆者自身の主観的原因に基づくことにより、多大の影響を筆跡の上に及ぼすことは言うまでもない。
また鑑定にあたっては、鑑定人は全く虚心の立場に立って鑑定すべきである。些(いささ)かも何かの主観が入るときはその鑑定はすでにある意図のもとに行なわれていると言わねばならない。これはもっとも恐るべき誤謬(ごびゅう)を犯し易く、鑑定に根本的な致命傷を与えるものである。
次に硬筆による書写の条件を考慮に入れねばならない。毛筆のような柔軟な用具を使用するならば、書写文字にも筆力、筆勢、用具の微妙な点までも考察し得るものであるが、硬筆書写鑑定にあたっては、字形、字体が同じような書だけであるからと言って同一人物の手になるとは比定し難い。かえって趣きを異にした文字が他にあることによって同一人の手でないことが裏付けされるのである。さらに硬筆である以上、一定の傾斜を持つならば文字形や動きや趣きまで同一に看る可能性がある。換言すれば一部分に相似の点あるも他に筆趣の異なるものがある時は、かえって同一人の書写とは認め難い。ここに鑑定の困難さがある。
極力鑑定人は主観を避けなければならない。しかもいかなる些細な相違も見逃してはならない、そして書写条件を充分に考慮に入れて慎重に事に当たらねばならない』
(続く)