五月四日、被害者の遺体発見現場の様子。写真上部・下部に見える報道陣と野次馬の量に圧倒される。
【公判調書3617丁〜】
「第六十五回公判調書(供述)」
証人=高橋乙彦(四十七歳・警察官。事件当時は埼玉県機動隊分隊長)
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宇津弁護人=「そうすると確認するんですけれども、死体が発見されたのちは、全体としての捜索隊は発見前に山狩りをやった所も含めて捜索を行なったという証言が先ほどあったと思いますが、で、それはそれでいいわけですね」
証人=「その後は私どもはその付近は、死体の現場の近くはやってません。広範囲に外の方をやりました」
宇津弁護人=「そうすると先ほどは、あなた少し混乱しているかも知れませんが、発見後は、あなた自身は二日間くらい捜索に従事したと、しかし、その時投入されていた捜索隊全体としてはその後も引き続き行なったかも知れないと思うということでしたね」
証人=「はい」
宇津弁護人=「そのあとでその行なった広がりを聞いた時に、発見前に山狩りを行なった死体発見現場から雑木林にかけての方も重ねてというか、やっていると思うという意味の証言をしたと思いますが」
証人=「あるかも知れませんと」
宇津弁護人=「それでそこのところを確認するんですが、まあ、あなたが二日間従事している間、他の分隊はほかの所も捜索するわけですね」
証人=「そうです」
宇津弁護人=「ですから、あなたが従事している間の全体の動きが知りたいんですが」
証人=「私以外の」
宇津弁護人=「あなたも含めて全体の動きですね。死体の発見後の遺留品の捜索ということに、どの程度の広がりでやったかということなんです。それは死体が発見された地点からその周囲の畑、雑木林に至りますその広がりでも捜索を行ないましたかということなんですが」
証人=「それはやっているかも知れませんが、私どもはその付近には行ってません」
宇津弁護人=「他の分隊は行ってるかも知れないと」
証人=「はい」
宇津弁護人=「遺留品としてはカバンということが頭にあるらしいが、そういうことはあなたは誰に指示されてそういうことを知っているわけですか」
証人=「これは、本部から指示されました」
宇津弁護人=「死体発見前のいわゆる山狩りは、被害者自身の発見がもちろん柱でしょうが、証人としては被害者は、もはや生きてはいないかも知れないという認識は持っておりましたか」
証人=「いないかも知れないということは思ってました」
宇津弁護人=「それは証人だけじゃなくて、やっぱり山狩りに従事した捜索隊の中にかなり広がっていた認識でしょうか」
証人=「ある程度念頭においてやっておりました」
宇津弁護人=「そうしますと被害者自身の発見ということのほかに遺留品の発見ということも山狩りの目的に入るわけですね」
証人=「入りました」
宇津弁護人=「そうすると死体が発見される前の段階でも遺留品にはカバンがあるはずだということは聞いておりましたか」
証人=「恐らく聞いております」
宇津弁護人=「証人としては死体発見前後を問わず、遺留品の一番重要な物としてはカバンであるという認識はずっと持っておられたんですね」
証人=「ええ、カバンであると現在の記憶で、そういう風に覚えておりますね」
宇津弁護人=「当時は他にあったかも知れませんね」
証人=「ええ、そうです。他にもあったかも知れませんが、現在の記憶ではそういう風に覚えております」
宇津弁護人=「そういうあなたが、のちにカバンが発見されたということになった際に、どの地点から発見されたのかということについて関心を持たれなかったんでしょうか」
証人=「関心って、発見されたというのは知ってますが、場所的にはちょっと分かりません」
宇津弁護人=「先ほど新聞で知ってるだけだと」
証人=「ええ、新聞で分かったわけです」
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裁判長=「あなたはそのカバンが発見されたということを新聞で知った時にはどこにいたんです。勤務はどこでしたか」
証人=「勤務は・・・・・・」
裁判長=「その事件の捜査に従事していたの」
証人=「もう従事していません」
裁判長=「どこかほかの事件が起こってそっちへ行ったと言いましたね、それはいつです」
証人=「それは死体が発見されて何日か経って、機動隊ですから結局、狭山の、何か、飛行機の墜落か何かがあって、そっちの方に行ったように思います」
裁判長=「山狩りに二日くらい従事したそのあとですか、それとも、もっと経ってからですか」
証人=「従事したあとか、その中間か、ちょっと忘れました」
裁判長=「いつまでこの事件に、捜査に関係していた」
証人=「七日、八日頃までだと思います」
(続く)
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○証人は山狩り捜索後、別の事件が起こりそちらへ向かったと証言している。本人曰く、飛行機の墜落か何かが起こったと述べており、念のため調べてみると、確かにそれらしい事故が起きていた・・・。
『昭和三十八年五月十六日、埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷にある毛呂病院の看護婦用宿舎の近くにB-57爆撃機が墜落、この事故で病院の食堂にいた職員一名が死亡、看護婦一名が足を骨折する重症、その他病院関係者や消防団など十数人が重軽傷を負った』
事故の起きた日付から見て、証人が向かったのはこの墜落事故であろう。
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○昨日、入間川の土手を徘徊していたところ、赤色灯を装備した車両が多数集合していた。
興奮を隠し近づくとそこには秋空に映える消防車が。
緊急車両である消防車はその活動現場までの迅速な移動が求められる。とすると高速度でも安定した走行を保つため、車体のサスペンションをすべて外し路面スレスレの車高が好ましい。これは空気抵抗を減らすためだ。これに加え全輪をハの字仕様でキメれば、その魅力にあふれた緊急車両に憧れた若者たちは消防団で働きたがり、この過酷な職種の宿命である人員不足を補えることとなろう・・・・・・などと妄想していると、
団員たちが素早く行動、号令と共になんと、
大放水を開始した。口を開けて見学していた私は、降ってきた水滴をいくらか口に含んだが、ピリッと辛口であった。
調べによるとこれは柏原河川敷公園多目的広場で行なわれた狭山市消防団特別点検ということだ。
なお狭山事件当時、機動隊と共に山狩りを行なった狭山市消防団であるが、彼等は現在も消防・防災活動に万全を期するため日々鍛錬に励んでいる。