古本屋を巡り、世に忘れさられた雑本を漁り、ひっそりとそれらを読む。その守備範囲は事件関連のドキュメントに絞られていたが、この狭山事件公判調書に出会い古本屋巡りの機会はめっきり減った。とどめを刺されたとでも言おうか、読書欲に対するその終着点に辿り着いたと言ったら大袈裟か。しかし、あの佐木隆三ですらその文体形態が裁判傍聴記へと向かったことは、このジャンルがいかに新鮮で新しく、刮目し続けざるを得ない分野であるかを物語ってはいないだろうか、と写真の猫は語るが。
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【公判調書3571丁〜】(昭和四十七年八月)
証人=鈴木 将(診療所経営)
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藤田弁護人=「中田さんの所へ、登美恵さんが亡くなられた時先生が行かれたのは何時頃ですか」
証人=「そちらのほうが詳しく知っていると思うけれども、それは記憶が曖昧ですよ。ただ昼間でもって三時頃じゃなかったかしらというくらいの話で、ただ午前中であったと言われても私はそうかなと思うくらいで」
藤田弁護人=「はっきりしませんか」
証人=「しないですね。ただ何か二回目に行った時は夕方だったような気がするけれどもね、昼頃じゃなかったかしら」
藤田弁護人=「それからだいたい考えると正午頃ですか」
証人=「だろうな。ひょっとすると正午に帰って来て、それで気が付いたんでしょうか」
藤田弁護人=「先生の診療時間その他から思い出せませんか」
証人=「急患というのは不意ですからね、そういうことは特に関係なかった」
藤田弁護人=「だいたい漠然と正午前後頃だという印象だと、現在のご記憶は」
証人=「ええ、そうですね」
藤田弁護人=「それから、農薬死亡の疑いということを仰いましたね、先生の現場での判断では」
証人=「ええ」
藤田弁護人=「ただはっきりしない要素があるんだと仰いましたね」
証人=「ええ」
藤田弁護人=「そうすると、農薬死亡の疑いというのは先生が現場で何によって判断されたわけですか。家族がそうじゃないかというようなことを言ったんですか」
証人=「そういうことじゃなくして、変死でしょう、そうすると自殺と見るというとね。あと、まあ死んだ死体を見れば他殺と見るわけないね。自殺とか、何かたとえば心臓死とか何とかの場合に何かの事件で死んだという風に見るわけだな、だからそういうことがあったんじゃないかと想像するね。だから何かそこに飲みかけがあったかというと何もないし、だから農薬であったかということも本当言うと分からないね。ただその前までぴんぴんとして、急にいくということは何か農薬でも飲んだんじゃないかという想像に過ぎないね」
藤田弁護人=「その程度でございますね」
証人=「そうそう」
藤田弁護人=「何か中田健治さんか何かが瓶を取り出したんですか」
証人=「いや、それは表のほうへ行ってどこに瓶があるんだいと言って聞いたら、こっちのほうにちゃんとしまってありますよと言って、きれいに洗った瓶が置いてあったね」
藤田弁護人=「それはどういう風な瓶ですか、コップか何か・・・」
証人=「いや、私も農薬はあんまり知らないけれども、このくらいの(コップ大を示す)瓶だったね。ああいうのは農家じゃ洗って捨てなくちゃいけないんだね、結局ね、だけど洗って捨てるという所はないんだよ。だからばかにきれいに、洗ってあったらしく見えたよ」
藤田弁護人=「それをその登美恵さんが亡くなった時に自分の死体のそばに転がっておったとかいうような状況を、先生は中田健治さんに確認されたようなことはないんですか」
証人=「それは一番最初に見つけますよ、だから何もないから不思議だった」
藤田弁護人=「だからそのきれいな瓶を持って来た時に、瓶の状況はどういう所にあったんだとか、本人が洗えるはずがありませんからね、その辺のところを確認されましたか」
証人=「いつもそういう風に洗ってるんだと、うちの者は言ったね、ずいぶんきれいじゃないかと言ったらね、そんなように覚えてるけどね」
藤田弁護人=「健治さんが洗ったんだという風に言ってましたか」
証人=「忘れたね」
藤田弁護人=「そういうことはお聞きになった記憶はありますか」
証人=「きれいだねと言ったことは覚えてるね」
藤田弁護人=「きれいだねというのは先生のお立場では何かやっぱり若干不審を持たれたということと関係がある質問なんですか」
証人=「それはいろいろ解釈できるでしょうね」
藤田弁護人=「何とも言えませんか」
証人=「ええ」
藤田弁護人=「とにかく、きちっと整理してあったことに若干の不自然さを感じられたということですか」
証人=「うん、そうですね」
(続く)