『老生による原文(公判調書第二審)引用作業は常に泥酔状態で行なわれるが、中身は概ね正確である』
【公判調書3564丁〜】(昭和四十七年八月)
証人=鈴木 将(診療所経営)
*
山上弁護人=「エンドリンという農薬の場合ですね、特に何か暗さを求めるとか、水を求めるとか、そういうような傾向はあるんでしょうか」
証人=「医者が何かたとえばそういう風な研究をしていますかね」
山上弁護人=「分からないということであれば、分からないということで結構です」
証人=「分かりませんね。そんな研究はないでしょう」
山上弁護人=「そうしますと、まあ先生の実際に与えられた職掌の範囲ではないんですが、井戸に入ったということと、飲んだとされるエンドリンには直接の因果関係はあるんでしょうか」
証人=「結局これは私は分かりませんけれども、うちの人の考え方によると、飲んで死にきれなかったから入ったんだろうということになりますね。だからどのくらいエンドリンの量を飲んで、どのくらいが致死量であって、どのくらいがどうということは私知らないし、研究出来てないでしょう、人体実験出来ないからね、だから分からないね」
山上弁護人=「この井戸は先生がご覧になって水がなかったということですか」
証人=「なかったですね。じめじめしていたけど」
山上弁護人=「水は」
証人=「ないですね、なかったと思ったよ」
山上弁護人=「で、この奥富玄二さんが亡くなられた後、引き続いて埼玉県警本部などの死体を見る専門の方も来られたという風なことは、あったんでしょうか」
証人=「ありましたね。死体を見る方かどうか知りませんけれども、警察の方はいらっしゃいましたよ」
山上弁護人=「医者の立場として、家族の方にいろいろと原因なり、あるいは遺書があるか、というようなことまではどうでしたでしょうか、証人の立場として」
証人=「何かすでに遺書が出てたんじゃなかったかしら。その前に、警察の方が見つけるより前に出ていたような気がしたよ。我々なんかも一般例として自殺の疑いがあると、すぐ遺書を見つけますよね。私が見つけたかどうか知らんけれども、とにかくあったことはあったと思いましたよ。まあ前から出てたのかも知れない」
山上弁護人=「前から出ておったというのはちょっと正確にはどういうことになるんですか」
証人=「その前に見つけてあったんじゃなかったかしらと、思いましたね」
山上弁護人=「死体発見の前に見つけた」
証人=「いや、そうじゃなくて、上がった時にもう何かあるんじゃないかということで、見つけたんじゃないですかね」
山上弁護人=「この奥富玄二さんの死亡診断書をお書きになりましたが、その後、警察のほうから先生のほうに更に詳しく知りたいというような事情で警察の方が先生の所へ見えられたということはございますか」
証人=「さあ、特に記憶がないね。あったにしても、むしろその当時はいっぱい刑事が張り込んでいたからね、特別来なかったでしょう、きっとね。覚えてないですよ」
山上弁護人=「特に地元、あるいは全国的な新聞に犯人と擬せられた人が、血液型B型の人が結婚式を前に自殺をしたと、それが玄二さんであったと、こういうような記事が相当広く書かれたということはご存じでございますね」
証人=「ええ、知ってます」
山上弁護人=「そういうことをご存じであるということから警察の方が聞きに来たということはないんですか、先生の所へ」
証人=「それは逃げるわけじゃないけどはっきりした記憶はないわ。悪いけど」
*
山上弁護人=「被害者の中田善枝さんのお姉さんね、この方は身内の方のご証言によりますと、妹さんが亡くなられた翌年の三十九年七月頃に亡くなられたようになっておりますが、これにも先生は何か行かれたように」
証人=「そうですね、行きました」
山上弁護人=「このことについて私が先生のお宅にお伺いに行ったことはご記憶ございますか」
証人=「うん、あるね」
山上弁護人=「そのことについて少し述べて頂きたいんですが、この先生のお宅にお伺いして、私どもがいろいろお伺いした時に、先生のお話になられた中に、どうも死因が分からんと言いますか、非常に奇妙な感じを受けたんだということを言っておられましたが、それは何に原因してそういう風な印象をもらされたんでしょうか」
証人=「そうねぇ、一般に何で亡くなられたにしても、苦悶の形をしているね。老衰というのは一番楽な死に方だね、だけど普通の毒で死んだとか何とかという人は非常に苦悶の体で死んでるな。ところがこの人はすっかり整ってきれいになって亡くなったね。だからすごく奇異な感じを持ったよね」
山上弁護人=「すっかり整ってきれいというのは仏さんとしてきれいというんですか、身繕いが」
証人=「身繕いは普通のものだったけど、吐物がないとか、たとえば失禁とか、いうことがなかったということですね。そういうものが伴うものだね、大概ね」
山上弁護人=「この人の場合にはそういう何か毒薬を用いたというような兆候もなかったと、こういうことですか」
証人=「それはあったかも知れないけれども、そこの様子じゃ分からなかったですね。ただそういう死に方もないとは言えないね、絶対用いないとは私は言えないよ」
山上弁護人=「先生は農薬を用いたんじゃないかということで家族の方に農薬の瓶はないかというようなことを尋ねられたようですね」
証人=「うん」
山上弁護人=「その際どうだったでしょうか」
証人=「なかったね、そしてみんなきれいに洗ってあったね」
山上弁護人=「瓶を洗ってあった」
証人=「うん。だからどうもね」
(続く)
事件後、残された妹の自転車横に立つ姉。
この狭山事件では関係者の自殺が続出するという特異な面を見せたが、その元凶はと言えば、警察による佐野屋での犯人取り逃しにその起因があると言ってよいだろう。この時、身代金を受取りに来た人物を警察が確保出来ていれば、彼等、彼女らは自殺せずに済んだことは間違いない。
当時、事件を聞きつけた埼玉県警の刑事らが狭山署に乗り込み捜査方針を変更させ主導権を握り、あわよくば犯人検挙に漕ぎつけようとの悲しい策略は失敗し、いわゆる二次災害とも呼べる自殺者の量産を産むこととなる。これに関連して、いみじくも老生の記憶に蘇った言葉がある。
「(わしらを逮捕するなら)年季の入ったデカ(刑事)を使うんや」
この納得のいく言葉を発したのは怪人二十一面相、そう、グリコ森永事件の犯人の弁である。狭山方面における年季の入ったデカ(刑事)とは、地元で長く活躍している警察官たちである。堀兼地区や上赤坂地区など目を閉じただけでその主要なる建物の位置関係や付近の居住者らの動向が把握出来、また佐野屋を身代金受渡し場所に指定された場合、これに対する捜査方針の組み立てなど、地元に精通した警察官でなければ分からないポイントというものがある。これ等を全く理解していない、成績のみを上げようとする県警の群れが狭山署に押し寄せ、年季の入ったデカを押しのけ現場に陣取った結果、案の定、犯人取り逃しへとつながったのである。