アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1147

『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』

                                            *

【公判調書3552丁〜】

            尋問及び供述 別紙速記録記載のとおり

なお、速記録中(休憩)と表示のとき、裁判長は休憩を宣し、裁判官退席の後、宇津弁護人は裁判所書記官、検事および出頭した全弁護人、立会いのうえ、後に弁護人より証拠として取調請求予定の録音テープ一巻(昭和四十五年五月二十三日に弁護人:宇津泰親および同:石田享が証人宅を訪れ、同証人との対話を録音したもの)を証人に再生して聞かせた。

裁判長は、立会った訴訟関係人に右証人を尋問する機会を与えた

昭和四十七年八月二十五日   東京高等裁判所第四刑事部

                                                 裁判所書記官  本江正二 印

                                            *

【公判調書3553丁〜】

                                   証人尋問調書

証人=小川とら

                                            *

宇津弁護人=「おばあちゃんと小川松五郎さんはどういう親戚だったですかね」

証人=「あれは、うちの連れ添いの弟だったんです」

宇津弁護人=「そうすると、おばあちゃんの義理の兄弟になるわけ」

証人=「そうです」

宇津弁護人=「で、おばあちゃんは今の所にずっと住んでるわけね」

証人=「ええ」

宇津弁護人=「松五郎さんは東京に出てたことがあるんですか」

証人=「そうです。若いうち、ずっと東京に出て、で、子供がなくておかみさんが亡くなって」

宇津弁護人=「松五郎さんはいつ頃から東京に出たの」

証人=「そうですねぇ、私が今の所へ行かないうちですから」

宇津弁護人=「今の所とらさんがお嫁に来る前」

証人=「ええ、もう東京に行ってたんです」

宇津弁護人=「おばあちゃんはいくつで嫁になったの」

証人=「私は二十才の時です」

宇津弁護人=「数えで」

証人=「そうです」

宇津弁護人=「そうすると、その頃には松五郎さんは東京に出てたんですか」

証人=「はい」

宇津弁護人=「それから、松五郎さんはずっと東京に行ってたんですか」

証人=「そうです」

宇津弁護人=「いつ頃まで行ってたのかね」

証人=「何でもかみさんが亡くなって、あと体が弱いから、それで私の倅がこんなに度々俺が東京に行っておれないからと言って、うちへ連れて来て、それで半年ばかり世話をして丈夫になって、それで亡くなった所へ、話合いで出て、それから一人暮らしで」

宇津弁護人=「それじゃ東京から引きあげて来て、それで田中(注:1)に落ち着いたわけですか」

証人=「そうそう。おじさんは丈夫になって、丈夫になっても、もう働いて食べるということは出来なかったですね」

宇津弁護人=「松五郎さんは東京で何をやっていたのかしら」

証人=「何だかもう東京だからコンクリの何かいい仕事をしてたんだね、確か。それでかみさんはお菓子か何か売ってたんでしょう、確か」

宇津弁護人=「そうすると、松五郎さんが田中に来られてからは体は丈夫でなかったわけね」

証人=「体は弱くてね、もう亡くなる幾年も前から失礼ですけれども、まぁうちも倅もあるですけれども、何しろ時勢が変わってるから役場のお世話になって、働けないでね」

宇津弁護人=「それで田中では一人暮らしだったわけですね」

証人=「はい、そうそう」

宇津弁護人=「で、とらさんが身の回りの世話をしてあげていたわけですか」

証人=「ええ、まあ始終じゃないです。弱いと言っても寝たきりじゃないから、まあ一月に一回程度行って、ほかにも兄弟もいるけど、洗濯でもしてやったりね」

宇津弁護人=「女学生を殺した事件のことで松五郎さんが時計を拾ったということがありましたか」

証人=「おじさんが拾ったんだそうですね、どこでか」

宇津弁護人=「おばあちゃんもその女学生殺しの事件があったことは知っているわけですか」

証人=「いや、詳しいことはやっぱりそばに始終いないんだから」

宇津弁護人=「事件が起きたことは知ってるわね」

証人=「ええ、何でもおじさんが拾ったということはね」

宇津弁護人=「それでね、おばあちゃんが、まあ、毎日ではなくても、しょっちゅう洗濯とか何かしてあげてたんでしょう」

                                            *

山梨検事=「さっきは月に一回くらいと言っていたですがね」

                                            *

宇津弁護人=「どのくらい世話をしに行ってたの」

証人=「おじさんのうちへは時計を拾った頃には行ってないから絶対私は知りませんけど、亡くなる前は、あの頃から一年も生きておられて、いよいよしまいには病院に入って、病院で六十日くらい、田中病院へ行ったり来たりして、それから帰って来て一年寝たきりで、それから亡くなったんです」

宇津弁護人=「時計を拾ったという日は、おばあちゃんは田中には行ってたの」

証人=「いないです。ずっとあそこね、まだそんなに弱くはなかったからね、絶対知らないですよ」

宇津弁護人=「松五郎さんが時計を拾ったということで警察のほうからお礼をもらった?」

証人=「いや、何だか私は絶対知りませんね」

宇津弁護人=「お礼をもらって、それが少ないものだから何か言ってた、で、おばあちゃんがそんなこと言うなら拾わないほうがいいのに、なんて言ったことない?」

証人=「私は何だか時計のことについては始終行ってないから、絶対わからないからね、それから時計の話はおじさん、私はちっとも聞きたかないよと、二度ばかり言ったことがあります。それであの頃は落ち着いて行ってないから、あの時計の関係のほうは絶対私はわからないです」

宇津弁護人=「松五郎さんはあなたにいろいろ言ってても、あなたは時計のことはあんまり聞きたくないよと、そう言ったということ?」

証人=「ええ、そう言ったこともあります」

宇津弁護人=「それからね、まああなたが洗濯とか何か身の回りの世話に行ってあげた時に、田中の松五郎さんのうちに警察の人が来てて、で、あなたがお茶を入れてあげたり何かしてあげたことがありますか」

証人=「何だか警察の人って、別に覚えてもいない、そう落ち着いてその頃はいなかったから」

宇津弁護人=「田中の松五郎さんのうちに警察の人が来てたから、お茶菓子を出してあげたり何かして、長い時間そこで手間取ったことがありませんか」

証人=「警察の人だか何だか、おじさんがちょうど私が行ったらいてお茶入れてくれと言うから一度何の人だかお茶入れておいて、私はそばにいないでね、おじさん、帰っちゃうからと言って帰ったことが一度あります。その頃は弱くたって寝たきりじゃなかったんだから」

宇津弁護人=「それは時計を拾う前ですか」

証人=「・・・・・・そのお茶入れて出したのは時計を拾う前でしたろうか、何だか私は関係ないからついね」

宇津弁護人=「それじゃ田中に行った時に雷が鳴ったり、すごく雨が降ったり、そういうことがありませんでしたか」

証人=「何だかまあ、ないと思うね」

宇津弁護人=「事件のあった年の六月の末頃、すごく雷が鳴ったり、土砂降りになった時があると思うけど、覚えてませんか」

証人=「やっぱりまあ、別に詳しいことは分からないね」

(注:1)「田中」とは狭山市内の地名であり被害者の腕時計が発見された場所でもある。そして小川松五郎はその腕時計の発見者である。

(続く)

                                            *

○小川とらさんの証言からは日頃、世話をしていた小川松五郎が腕時計を発見したばかりに、証人は面倒ごとに巻き込まれ辟易している模様が感じられる。

捜査当局は事件発生から約二ヶ月後、被害者の腕時計を捨てたとする石川被告の自白調書図面に基づき捜索に着手、捜査員数名により二日間をかけ念入りに行なわれた。妙なことに石川被告が腕時計を捨てた場所を自白したのは六月二十四日だが、警察が捜索に着手したのは何故か五日後の六月二十九日である。

   六月二十九日、三十日の二日間にわたって捜査員らによる道路の両側及びその周辺の捜索が徹底して行なわれたが、腕時計は未発見のまま捜索を終える。それから数日後の七月二日朝、七十八歳の目の不自由な老人、すなわち小川松五郎により、捜索し尽くされた道路際の茶株の根元から目的の腕時計は発見されたのである。

    腕時計の発見前か発見後かは不明であるが、警察関係者が小川松五郎宅を訪れており、その際に居合わせた小川とらがお茶を出すなど世話をしていることから、この警察関係者が何の目的を持って松五郎宅を訪れていたか、弁護人はこの状況を解明するべく小川とらを法廷へ召喚したのではないかと老生は推察するのである。

   小川松五郎により発見された、被害者のものとされる腕時計に関しては事件当初、捜査当局により「品触れ」が出された。

しかしこの「品触れ」に載った腕時計の側番号と、発見された腕時計の側番号は違っているという問題が明らかになるのだが、その発端は弁護人に送られてきた匿名の手紙によるものであった。この「品触れ」が作成された時点ではまだその内容は捜査当局しか知らず、匿名の手紙は警察内部の者からの告発と見られている。