『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
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【公判調書3506丁〜】(ここには当時の狭山署長から石川被告の出身小学校と中学校へ送られた照会書が載っている)
①発第四八六号
【捜査関係事項照会書】
まる捜査のため必要があるので左記事項につき至急回答されたく刑事訴訟法第百九十七条第二項によって照会します。
昭和三十八年五月二十四日 狭山警察署長 司法警察員
警視 竹内武雄
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「照会事項」
住居 本籍地に同じ
鳶手伝 石川一雄
昭和十四年一月十四日生(二十四才)
一、右者の学籍簿謄本壱通作成の上至急御回送願いたい。
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②発第四八七号
【捜査関係事項照会書】
まる捜査のため必要があるので左記事項につき至急回答されたく刑事訴訟法第百九十七条第二項によって照会します。
昭和三十八年五月二十四日 狭山警察署長 司法警察員
警視 竹内武雄
*
「照会事項」
住居 本籍地に同じ
鳶手伝 石川一雄
昭和十四年一月十四日生(二十四才)
一、右者の学籍簿謄本壱通作成の上至急御回送願いたい。
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○上記に対する狭山市立東中学校長からの返答は・・・。
狭山警察署長 竹内武雄殿
狭山市立東中学校長 広沢文
「警察関係事項照会について」
上記のことについて下記の通り回答いたします。
記
石川一雄 学籍簿の件
1、上記の者 狭山市立入間川中学校を卒業せず、卒業生原簿には義務年齢修了者として記入してあります、しかし本人の学籍簿は見つからず本籍生年月日等不明と記入してあります。
2、これは当時本人が学校に通学せず、ほとんど欠席して居りましたので作製しなかったものと想像されます。
○右原本と相違ないことを証明する。
昭和三十八年五月二十四日
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○さて公判調書第二審3514丁へと進もう。
「被告人:石川一雄に対する事件について当裁判所は検事の意見を聴いた上で次の通り決定する。それとは昭和四十七年二月十五日付で弁護人から請求のあった証人=高橋乙彦、同=野口利蔵の二名を採用し、以下の公判期日にそれぞれ尋問する」
①尋問する期日(公判期日)昭和四十七年八月二十六日午前十時。 証人=高橋乙彦。
②尋問する期日(公判期日)昭和四十七年八月二十六日午前十一時。 証人=野口利蔵。 以上
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○公判調書3516丁にはこうある。
「弁護人から取調請求のあった別紙(一)(二)記載の各取調請求はこれを却下する」
では却下された各取調請求の内容を見てみよう。
まず別紙(一) 弁護人の昭和四十五年四月二十一日付事実取調請求書記載から(抜粋)。
①「昭和三十八年五月五日付読売新聞朝刊十四版十一面」
『前に別の誘かい計画 あて名日付書き直された脅迫状』という見出しの記事。
② (1)「同五月七日付読売新聞朝刊十四版十一面」
『疑惑深まる"自殺した青年"前後の行動追及、似た筆跡、血液型も一致』という見出しの記事。
(2)『別に三人の容疑者、水色シャツの男も』という見出しの記事。
③ (1) 「同年五月七日付読売新聞夕刊四版十一面」
『しろうとではない荒縄の結び方 新たな手がかり』という見出しの記事。
(2)『玄二さんの血液は七日、B-MN型とわかり』の記事。
④「同年五月六日付毎日新聞夕刊」
(1)『キメ手 米屋の手ぬぐい』等の見出しのある記事。
(2)『奥富玄二は、被害者中田さん方で作男をしたことがあり、事件と関係があるのではないかと本部で調べている』旨の記事。
⑤「同年五月七日付毎日新聞朝刊」
『自殺した元作男』という見出しの記事。
⑥「同年五月七日付毎日新聞夕刊」
『ナワの結びに特徴』という見出しの記事。
⑦「同年五月六日付朝日新聞夕刊三版七面」
(1)『新事実つきとめる 下校中にも目撃者、容疑線上に三人の男』という見出しの記事。
(2)『農薬投身自殺した奥富玄二につき捜査本部で調査している』旨の記事。
⑧「同年五月七日付朝日新聞朝刊十二版十五面」
『情報の裏付け急ぐ 三人の男 決め手つかめず』という見出しの記事。
⑨「同年五月七日付朝日新聞夕刊三版七面」
『"疑いの男"一人姿消す 狭山の女高生殺し 捜査進まず』という見出しの記事。
⑩「週刊文春」(昭和三十八年)七月八日号三十四頁以下(「石川一雄自供発表の夜」と題する記事)。
○弁護人が取調請求したこれらは軒並み裁判所によりそれを却下されたわけである。中々興味をそそる新聞記事の見出しが並ぶが、続く別紙(二)の記載の取調請求も同じく却下された。
別紙(二)
昭和四十七年二月十五日付事実取調請求書記載、
第一の鑑定のうち、
二、玉石に関する鑑定。
三、腕時計(昭和四十一年押第一八七号符六一)に関する鑑定。
第二の証人のうち、二十八名。
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○公判調書3521丁、ここにはこうある。
『裁判長判事 井波七郎様
私は来る昭和四十七年八月十五日に証人として召喚状を頂きましたが、当日は当地(川越)がお盆様の為、嫁の立場としてお客様の接待をするので家を出ることができません。恐れ入りますが、出頭できない旨、御了承下さい。
昭和四十七年八月七日 埼玉県川越市西小仙波二丁目二十二の⚫️ 山田○○ 説得の結果出頭を承諾 小森』
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・・・・・・事件に関わった人々はそれなりに大変である。
この山田さんに対しては続きがあり、次に挙げるのは電話聴取書によるものである。
『私は、昨日付で不参届を提出しましたので、よろしくお願いします。
私方では、新盆の仏様があるわけではなく、従って、そのため特にお客が多いわけではありません。ただ、私が嫁いで初めてのお盆ですので、親戚からのお客の接待をしなければならないのです。
八月十五日の、私に対するお調べは、一時間程度で済む見込みとのこと、また当日は、被告の石川という人や、傍聴人のいない所でお調べを受けるとのこと、わかりました。
また、当日出頭しない場合は、後日、東京高等裁判所へ出頭してお尋ねを受けるようになるかも知れないとのこと、および、その場合は石川被告や大勢の傍聴人のいる法廷でお調べを受けるようになるとのこと、いずれもわかりました。川越でのお調べがそういう事で、一時間程度で済むのであれば、八月十五日に川越の裁判所へ参ります。
私が石川という人の事件に直接関係があるのではなく、全くの第三者としてお調べを受けるものであることは、家人もわかっておりますから、裁判所の方からその点について姑に説明して頂かなくても差し支えありません。
八月十五日の午前十時十分前頃、川越の裁判所の玄関へ参ります』
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・・・・・・だらしなく惰眠をむさぼるこの方の世界には、冤罪など存在せず、領土問題、また核に関する問題、世に蔓延する様々な問題などに対し全く無縁でありながら、子孫を繁栄させ独自の社会を築き上げるという我々には不可能な事実が確認出来る。早速、お手本にしようではないかと思うが・・・。