「脅迫状における筆跡」鑑定書
書道家 綾村勝次
鑑定資料(一) 狭山市大字上赤坂一〇⚫️番地 中田栄作方に投げ込まれた脅迫文。
鑑定資料(二) の(1) 石川一雄被告が書いた上申書。
【鑑定結果】
一、鑑定資料(一)の筆跡と鑑定資料(三)の筆跡とは必ずしも同一人の筆跡とは認められない。
二、鑑定資料(一)の筆跡と鑑定資料(三)の筆跡とは、その独特の文字形態と筆順の上からみて、しかも比較的運筆の遅い点に大きな疑問が生じ、同一人の筆跡とは断じ難い。
【鑑定結果概略】
筆跡は書写当時における用筆用具および用紙等の相違による物質的原因に大いに依存し、その結果、字形の構成の上に大いに変化を来すものであることは、日常、我々の経験して知っていることである。
さらに右の条件の相違が大なれば大なるほど、その結果に書写された筆跡には格段の変化を生ずるであろう。特に書写当時における筆者の心理的状態、すなわち喜怒哀楽、健康、不健康、覚醒状態等の筆者自身の主観的原因に基づくことにより、多大の影響を筆跡の上に及ぼすことは言うまでもない。
また鑑定にあたっては、鑑定人は全く虚心の立場に立って鑑定すべてである。いささかも何かの主観が入るときは、その鑑定は、すでにある意図のもとに行なわれていると言わねばならない。これはもっとも恐るべき誤謬(ごびゅう)を犯し易く、鑑定に根本的な致命傷を与えるものである。
つぎに硬筆による書写の条件を考慮に入れねばならない。毛筆のような柔軟な用具を使用するならば、書写文字にも筆力、筆勢、用筆の微妙な点までも考察し得るものであるが、硬筆書写鑑定にあたっては、字形、字体が同じような書だけであるからといって同一人物の手になるとは比定し難い。かえって趣きを異にした文字が他にあることによって、同一人の手でないことが裏付けされるのである。
さらに硬筆である以上、一定の傾斜をもつならば、文字形や動きや趣きまで同一に看る可能性がある。換言すれば、一部分に相似の点あるも、他に筆趣の異なるものがあるときは、かえって同一人の書写とは認め難い。ここに鑑定の困難さがある。
極力、鑑定人は主観を避けねばならない。しかも如何なる些細な相違も見逃してはならない。そして書写条件を充分に考慮に入れて、慎重に事に当たらねばならない。
【鑑定方法】
往々にして、資料についての概観的見討(原文ママ)が軽視されがちである。すなわち、その類似点だけに注意を払い、相違点の認識に欠如する傾向をもつ。この二点を念頭において、客観的検査法によって資料を拡大写真にし、比定していくのである。配字の関係、文字の画や線の傾斜角度、字間の間隔、筆勢の強弱、運筆の順序、および書写速度等を分解し解明していくのである。
【文字の異同識別】
鑑定資料(一)は、珍しく横書きである。ノートをちぎった紙面に書いたというので自然横書、左から書いたものと思えるが、これはまったく意識的にしたのではあるまいか。自然の筆跡をごまかすためにそう書いたこととしか思えない。しかも相当書き慣れた調子に書いてある。従って筆勢もあり、筆力も認められる。書き直した個所はあるいは左手で書き加えたもののようである。それは落筆の点に問題が認められる。その文字にも力を加えることなく、素直に自然にうちこんであるのに、書き直しの文字の最初のうちこみには無理な筆のあたりがある。その適例は「の」字である。
本文のもとの「の」字と比較すれば、いかに苦しんで書いたかはよくわかる。つまり書き難いのに無理に書いたからである。換言すれば左手で書いているからである。また、「刑札」「気んじょ」「死まう」等は、よほど考えて造って書いたものであろう。
「も」字は、たてを真下に引いて書いている。このような字は他の資料には見ることのないところである。多くは下を丸めて書いている。
「刑札」の書きようについては、筆者は教育程度が低いと言われているが、「刑」の字は、むしろ現在の教育漢字(小学六年)にも入っていない文字である。それも書き慣れた調子で書いている。教育程度の低い者ならば平仮名で書くことであろう。何を無理して読み難い文字を当てたのだろう。
一見して鑑定資料(一)は、鑑定資料(三)や(四)に比べて特殊な刑罰に関する文字をもって表した当て字が多すぎることは認められる。そこには何かの意識をもって文を綴ったものであることを表している。(三)や(四)に見られる文字の書写態度の方が、いかにも充分な教育を受けない者が書く文章の体をこわしており、無理して漢字を使用していないことによっても明らかである。
【横書の問題】
まず特殊な書き方である。小学校以上の教育を受けた者であり、または事務的な仕事に日常関係している者の書きようである。あまり日常書き慣れていない者であれば縦書きが一般的であるといえる。
一般に書き慣れた者が書くときは速く書くために少し右肩が上がるものである。それは罫が引いてあるなしに関わらず少し右肩が上がるものである。書き慣れない者が書くと、横線に注意して文字の下が線上に来ない。つまり文字が浮くのである。熟練者が書くと下の線が揃う。たとい拙い文字で書いても文字の行が一線に整うて見えるものである。鑑定資料(一)の例がそれである。
また、書き慣れた者は書き出しのところを一字ほど空けて書く。初心者は初めから頭を揃えて書くものである。これは鑑定資料(一)と、その他の鑑定資料と比べて明白である。
全字の書き出しと第二画との間が開いているか、閉じているか、この区別によっても両者の手癖の相違が明白である。
つまり鑑定資料(一)と、他の鑑定資料の筆跡は明らかに別人の手によって書かれたものである。
以上の、文字の異同弁別については鑑定資料の部に掲げたものを基として鑑定した。これを以て鑑定を終わる。
昭和四十七年七月二十日 綾村勝次
*
鑑定書補遺
【文字の異同識別】の項において説明し尽くされなかった項についてここに補遺を附する。
(一) 鑑定資料(四)についての補足
この鑑定書に取り上げられた資料には充分な資料を網羅していない。例えば、上申書(昭和三十八年五月二十一日付)を使用していないことに留意されたい。この書をみると、いかにも教育程度が想像され、本人の学力を証するものがある。
「間」を
に、
「年」を
に、
の字形、筆使いや、特に「時」の結構(注:1)でよくわかる。「時」字を正しく書けず、その曖昧な形によって「寺」とあるべきを「青」にしている。それも一カ所ではない、三カ所にもわたっている。ところが鑑定資料(一)によれば行書体にかわっており、「青」字に見える形をとっている。これは何かを見て書いたとしか思えない。言いかえれば、何かによってそれを見ながら書いたために、もともと自分の書きようを忘れて充分な形に書かなかったのではないか。
(時)
「日」字の第二画の角などをていねいに書いている。
(日)
また、上申書の仮名文字は一字を書くのに一様に力を入れて書いてあり、鑑定資料(一)にみえる仮名文字のように終筆に勢いを表してはいない。終筆にはきちんと書き止めてある。つまり筆勢が見られないし、はね切っては書いてはいないのである。このことは漢字の場合にも当てはめることが出来る。
また一字を比較するのに、その一部分のみをとって、似通っているからといっても必ずしも同一筆致であるとは言えない。一部分の類似または酷似したものはよく選び出せるものであるが、一字全体を比べるとかえって似而非(えせ)なるものを知る場合がある。特に硬筆の場合にはこの注意は周到に払わねばならない。
したがって高村氏の鑑定には、最も重要な資料との比定が無視されていることを遺憾に思う。
(二) 鑑定資料(一)と鑑定資料(二)の(1)(上申書)とについて述べよう。
前者には横書きに習熟した筆致が見られる。すなわち、かなりの速書きである。また書線にも筆勢がうかがえる。一文字を書く際に、文字の傍らの方に力を抜いてあるのは、次の文字を書くための自然的な心理的準備であり、次の文字への移行を表しているものである。各文字の終筆が力を抜き切っているのは、硬筆書写に経験のあることを見せている。
ところが後者には筆勢が認められない。ようやく知っている漢字の形を一字一字書き上げたという風である。これは文字に関する知識が極めて低いことを示す。書こうとする字形をやっと書き上げた書き方であるから自然、線上では右へ傾いてくる。書き慣れた者は、やや右肩が上がるように書く。一文字を見る際、筆勢に緩急遅速の変化が認められないのは一字一字を辛うじて書き上げたものと考えられる。一字一字については補遺の(一)において述べたが、筆跡鑑定において肝要なことは、一字一字の部分的鮮明も大切であり、必須な手段の一つであるが、綜合的全体的な把握は欠くべからざる要件であることを附論する。
昭和四十七年七月二十日 綾村勝次
*
注:1 ここでいう「結構」とは、「時」という字の構造や構成を考えるという意味で使われていると思われる。