『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
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二、脅迫状の漢字・仮名使用について
脅迫状には普通の表記に見られない漢字・仮名使用がある。それは誤った漢字を用いた語と、普通、仮名で書くのが当然な所を漢字で書いたものとである。これを一括して当て字として取扱うならば、脅迫状には次の当て字がある。
この中で誤った漢字の使用としては、「警察」を「刑札」とするものがある。これは「警察」と書けないために「刑札」と書いたかのように見える。しかし、「刑」という漢字も、「札」という漢字も、いわゆる義務教育漢字以外の漢字であることが注目される。「刑」も「札」も、小学校教育において、読み書きともに出来るようにすべき文字の表に入っていない。小学校終了時に書く力が−2と評価され、それ以後選挙に際して候補者の氏名を練習して投票し、かつ「時代物のちゃんばらが載っている本は読んだことがあります。そのほかは漫画くらいのものです」(前記、被告人質問の中より引用)という被告人が、自ら思いついて「警察」の当て字として「刑札」と書くことは極めて疑わしい。
また、「し」の仮名に「知」を当て、「で」の仮名に「出」、「な」の仮名に「名」、「き」の仮名に「気」を当ててあるが、これらの仮名は普通の字を書く方がはるかに容易自然であって、助詞の「で」に「出」を書くごときは極めて作為的である。また「エ」の仮名に「江」の字を三回使用しているが、これは今日の大学生でも書かない仮名である。
これらの当て字を通して知られることは、この脅迫文が極めて作為的であることである。このような当て字を今日の社会ですることは不自然であって、これは前に一度文章を作り、その文章の中の特定の音節を、仮名から当て字の漢字へと置きかえた下書きを作り、それをもとにして書き上げたものである。この際、下書きを起草した人物と、現在の形に書き上げた人物とが別人である場合も考えられるが、下書きの起草者は中等度以上の文字能力を持つと推定される。鑑定人は万葉仮名の研究者として多くの当て字の例を知る者であるが、このような当て字は、能力の低い者のすることでない。また脅迫状は横書きであるが、これは一般に文書を書き慣れた人間の書く方式である。被告人は昭和二十五年度に小学校を終了しているから、昭和二十二年度の学習指導要領によって教育を受けた者である。昭和二十二年度の学習指導要領では、国語の指導には横書きは行なわれていない(文部省初中局、藤原宏教科調査官による)。従って、横書きで脅迫状を書くことは異例である。(上申書の横書き形式は警察官または何人かの指導によるものと推察される)
また脅迫文には十箇所の句読点が正確に使用してある。しかし上申書は一生懸命に書いているに関わらず、一箇しか句読点がなく、しかもそれは「どこエもエでません。でした」と極めて幼稚な付け誤りのものである。上申書の筆者は文章に正しく句読点を打つ能力を当時持っていなかったと判断される。
以上の如く脅迫文の用語と用字を分析した結果、次の通りに思料される。すなわち、脅迫文の原文の起草者と、上申書の筆者との間には、漢字表記能力、仮名使用上の能力、句読点を打つ能力において格段の相違があり、上申書の筆者は脅迫文の起草者たりうる能力を有しない。
なお、東京高等裁判所刑事法廷において、裁判長:久永正勝判事の命によって、鑑定人:高村巌氏は、
一、第一八七号証の一(脅迫状)
二、被告人:石川一雄から内田裁判長宛の手紙
三、第二〇号証の一(中田江さく宛手紙)
の三点を鑑定資料として筆跡鑑定を行なっているが、これは明白に不当であると認められる。右の資料の二、三は、被告人が逮捕されて、脅迫文を書き習うことを繰返した後の文書であり、かかる文書の字形を以て脅迫文との字形比較を行なうことは無意味であると思料される。
学習院大学教授 文学博士 大野 晋
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