『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
*
【公判調書3486丁〜】
「筆跡などに関する新しい五つの鑑定書の立証趣旨について」
弁護人:山下益郎
「残土に関する八幡鑑定書について」
(前回より続く)本鑑定書は、第一に、大野実況見分調書と同一の穴を掘り、さらに埋め戻した際の残土の量、第二に、右調書記載の如き玉石が本件土中に自然の状態で存在する可能性があるか、第三に、残土が生じたとして降雨により流失してしまう可能性があるかの問題について科学的結論を出しており、弁護団は右結論を通じて、石川自供内容の架空、虚偽であることを立証しようとするものであります。
第一、土以外の物体を埋めないで重量二七四瓩(きろぐらむ)、石油缶約十六杯分の残土の発生したことが認められた。
第二、玉石は自然の状態では本件土中に存在し得る可能性はない。
第三、発生した残土は三十数粍(みりめーとる)の雨が降り注いでも流失することは起こり得ない。
やや具体的にその立証趣旨に沿って説明すると、残土について石油缶十六杯分が発生するというのは、屍体を埋めない場合でありますから、これを埋めた場合には、腰の下、首から頭の付近、項(うなじ)の部分、背中から腰にかけて、両大腿部から足首にかけて、各部分に空間が生じ、その部分には土が密着出来ず、その分だけさらに残土が発生し、屍体の容積を考慮すると、ゆうに石油缶五杯分が加算されねばなりません。したがって残土については石川自供にいう如く「残土が麦畑の辺りに残っていたかも知れません」という程度のものでないことは本鑑定書からも極めて明らかなところであります。
石油缶十六杯以上の残土は、穴の周辺に高く堆積されるはずであり、仮に真犯人がこの残土をそのままにしていれば直ちに発見されることになり、事実、残土があれば前記実況見分調書にその旨記載がなされて然るべきところ(右調書は現場状況についておよそ正確である)、そのような記載は全くありません。本件埋没現場を五月二日通りかかった第一証人:鈴木要之助は「何だろうと思って行ってみたらすっかり埋めてあり、土のところはよく平らに撫でてありました」と証言しているが、これは前述石川供述とは全く異なっている。石川君は「残っていたかも知れません」と供述させられ、残土の処理について全く触れていない。鈴木証言は明らかに真犯人が埋没地を隠匿するため残土について処理したことを示すと考えねばなりません。すなわち犯人は多量の残土を何処へか運搬して、しかも穴の表面を「平らに撫でた」ことを示すものであります。鈴木証言は右事情を雄弁に物語っています。また山狩り隊員として現場を発見した第一証人:橋本喜一郎は「苔が生えているところと、掘り返したあとの土が変わっているもんですから、ちょっと変だと思った」というのみであり、これまた残土の存在を示す供述ではないこと明らかであります。
右立証趣旨を大略述べただけでも、石川自供内容の架空であることは極めて明白となるのであります。
玉石の結論についても、和歌森・上田鑑定書と相まって、真犯人が本件現場に、特定の目的から運び込んだことが明らかとなりました。
さて本件は極刑を科せられた被告事件であり、したがって解明されない点を残したまま判決が下されることは絶対に許されません。第一審判決は「自白の真実性を担保する情況証拠は枚挙にいとまがない」とも言っていますがしかしこれは、単なる言葉で問題の深刻さを誤魔化そうとするものであります。玉石、棍棒、ビニール風呂敷、残土の問題はほんの一例にしか過ぎず、自白の架空性を示す情況証拠は枚挙にいとまがないというのが弁護団の確信であります。
裁判所が残土などに示された、科学的結論を認める限り、石川無罪は直ちに明らかとなるものであります。二つに各鑑定書を証拠として取調べるよう強く要望するものであります。
以上
*
「残土について」鑑定書
東京大学教授 八幡敏雄
『鑑定書』
一、鑑定資料
昭和三十八年五月四日付司法警察員警部補大野喜平作成の実況見分調書。
二、鑑定事項
(一)死体発見現場(埼玉県狭山市入間川二九五⚫️番地先農道)の土質(地質)と後記(三)の実験を行なう際の現場土質(地質)の同異およびその特質について。
(二)通常、同地質の土中に、砂利(小石)あるいは二十センチ×十三センチ、重量四.六五キロのいわゆる玉石などは存在しうるか。その可能性の存否。および各理由について。
(三)同地質(実験場)において、当年二十四歳前後の男子(土工)が、「昭和三十八年五月四日付司法警察員警部補大野喜平作成の実況見分調書」記載のとおりの穴を掘り、身長百五十四・四センチ、体重五十四キロの女性死体を埋没し、同じ土質の土をかぶせて埋めた場合の、作業時間および残土の量如何。
(四)降雨状況において右作業に要する時間および、降雨のため右作業が困難となる場合の具体的状況など。
(五)降雨状況において、右土質の変化態様(さらさらと流れるか、または粘着性を帯有するかなど)。
(六)降雨状況のもとでの、右残土の流失の態様について(雨とともに流失してしまうか。流失の痕跡は明白に残るかなど)。
(七)降雨状況で埋没完了後六〜七時間を経過して、かりに晴天で二日乃至三日を経過した場合、同穴の表面の土の状況について(なお、本件作業は通常のスコップによる)。
三、鑑定結果
(一)について
この地域一帯はいづれも立川ローム層におおわれており、その表層地質の構成が類似していることは関東ローム研究グループ著「関東ローム」の添付地図で明らかであるが、『現場の土質は黒色のやわらかい土で』の記述および「現場写真11号」からみて、表層の腐植化のすすんだ「黒ボク土」は穴底の近くまで及んでいるように判断される。
これに対して実験を行なった現場(狭山市入間川一丁目埼玉県農業試験場入間川分場構内)ではこの黒ボク土層は約三十五糎(センチ)でその下部は黄褐色のローム層であり、黒ボク土の厚みがうすい。この場合、腐植化のすすんだ土とすすまない土とではその物理性にいくばくかの差があることは確かだが、しかし土層断面にみられるこの若干の差が以下の鑑定の結果を狂わすほどのものであるとは考えられない。
因みに実験の時期(昭和四十七年六月七日)ならびに降雨前歴はともに死体発見現場の状況にかなり近いものである。
(二)について
風積性火山灰の成層のなかに「玉石」の語であらわされるような、しかも寸法と重量とから考えて密度が3に近いと推定されるような石が、自然の生成過程のなかで混入することはあり得ない。またこの位置にあるローム層のなかに河床でみられるような砂利(小石)が自然に存在することも考えられない。
(三)について
実験は埋め戻しを、(イ)ただ土を投げ込むだけで表層付近のみ多少足で踏み固める式のやり方の場合と、(ロ)土を投げ込んでは穴の中に入って足で踏み固め、再び上にあがってまた土を投げ込むというような動作を数回くり返す丁寧な埋め戻しの場合と、二つの場合について行なった。
二つの場合とも、掘り上げた土の重量は千三百瓩(キログラム)であったが、結果は前者の場合は二百四十七瓩(十九%、石油かん約十六杯分)の土が、後者の場合は九十二瓩(七%、石油かん約六杯分)の土が残った。しかもこれは土以外の物体を埋めない場合の結果である。また、堀作と埋め戻しとに要した時間は、前者では約三十分、後者では約三十五分であった。
但し火山灰土では一般に作業を丁寧にやれば締固め後の土量と自然状態の土量との比を1以下になしうるというのは土木施工法の常識であって、本実験でも後者の場合に、踏み固めが全層に亘って穴の中央部並に行なわれたならば、全土量が残土なしに穴の中に戻った筈だという計算結果が出た。但し、こうするには穴の隅々まで時間をかけて相当丁寧に踏み付けなければならないのは勿論である。
(四)について
降雨の場合の推定には不明な要素が多すぎて推測が甚だ回難(原文ママ・注:1)であるが、五月一日以前は晴天が続いており、且つ宵のうちの雨量は十数ミリ程度と推定されるから、この程度の雨では表層十糎(センチ)くらいが水を含むだけで、堀作にも埋め戻しにもあまり大きな回難を与えない。
(五)について
雨量によって違うが、前項のような状況であれば「表層保留」の行なわれる表面十糎ほどの部分の土は粘着性となりスコップに粘り付いて、その部分の土のあしらいには妨げとなろう。
(六)について
雨水の保留能力の高い土であるから残土の堆積に三十数耗(ミリメートル)の雨が降り注いでもそれだけで行方が分からぬほどに流失してしまうことは起こり得ない。尤も火山灰地帯でも農道表面には比較的早く雨水の流れが生じ、傾斜があると路面で水蝕を生じやすいことが知られているが、犯行現場は農道とはいい条(注:2)、『道路の形態を具(そな)えていない』のであり、「現場写真4号」でみても全く平坦で、そのようなことはまず起こることはあるまい。
(七)について
投げ込まれた土がゆるくつまっている場合(したがって多くの残土を生じる場合)には埋め戻した地表表面は多少沈下を生じるであろう。その時表面がどのような外観を呈しているかについては不明な要素が多すぎて何とも言えない。 以上
*
注:1 回難(読み不明)=「困難」や「苦しみ悩む」の意。
注:2 いい条(言い条=いいじょう)=「とは言うものの」「とは言え」。