『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
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【公判調書3484丁〜】
「筆跡などに関する新しい五つの鑑定書の立証趣旨について」
弁護人:山下益郎
(二)
3 「綾村勝次鑑定書について」
(前回より続く)
本件鑑定書のもう一つの論点は、芋穴から発見された棍棒に及ぶが、これは埋め墓を守ろうとするいわゆるハジキの習俗の変形であることを指摘しております。前述カラー写真に明らかな如く、埋葬地上に簡単な棒杭が無造作に立てられており、このような魔除け、あるいはオオカミ、犬などを避けて埋め墓を守ろうとする習俗は堀兼地区の埋葬地においても認められることが本鑑定書によって明らかとなりました。
すでに述べたように、捜査当局は、犯行現場から領置した玉石について、「これは何のおまじないか」と石川君に質問し、また棍棒については、これを刑事が持ち歩いて聞込み捜査をしたのですから、その意味が分からないと言って済まされることではありません。検察官は当審において初めて玉石を証拠物として法廷に提出したのですが、犯行に関係ない物が、いかなる意味でも裁判所に提出されることは不自然なことです。犯行に関係ありということでなければ、全く無意味な石ころが証拠調の対象になることは第一理屈に合いません。また裁判所としてもこれを証拠物として受け入れた以上は玉石が犯行に関係あるのかないのかを明確にさせる義務を負担すると言わねばなりません。棍棒についても全く同様のことが言えるのであります。
確実に言えることは、本鑑定書によって石川君の自供内容の真実性について重大な疑問が投げかけられたことであります。本鑑定書が指摘するように、現にそこにあった玉石・棍棒は、当該地方の屍体葬送習俗の立場から観察しない限り、到底その意義を把握することは不可能であります。このことは、一度は疑いを持った捜査官自身が途中でその追及を中止断念していることからも明らかであります。
学問的成果のうえに立ってこそ、裁判も、また国民の信頼を勝ち得ることが出来るのであり、"科学的"という名に価することが許されるのであります。本鑑定人両名は、日本における民俗学、宗教史の権威であります。
以上、本鑑定書の立証趣旨を概略述べると共に、直ちに証拠調をされるよう強く要望するものであります。
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「残土に関する八幡鑑定書について」
死体埋没の穴および残土について、石川自供調書には次の記載があります。昭和三十八年六月二十二日付に「穴を掘って死体を埋めた」、同月二十九日付では「その穴を掘って埋めてしまった」、同日付の他の調書に「シャベルを使って長さ二メートルぐらい、横が一メートルぐらい、深さが私の腰くらいの大きさの四角っぽい穴を大体三十分かかった。その時雨が降っていたが、大したことなかった」。最後に七月六日付で初めて残土に関する検察官の発問のあったことがうかがわれ、それによれば「麦畑辺りに掘った土の残りがそのままであったかも知れません」との供述記載があります。ここで差し当たり重要なことは、力のいる重作業、しかも雨の中を急いでやらねばならなかった事情について、具体的には全く触れるところがないということであります。たとえば雨の中での作業の状況はどうであったか、残土はどのくらい発生したのか、その処理はどうしたのか、について全く触れるところがありません。ただ三十分で掘れたというのみであります。しかしこの三十分は、犯人だけしか知り得ない事情ではなく、少なくとも本件埋没現場の土質を知る者であれば、容易に推測し得るところであります。問題は三十分の中身であり結果なのである。冒頭に引用した石川供述が言っていることは、現場に穴があり、その穴から死体が発掘されたのは事実なのですから、抽象的には誰でも供述し得ることでありますが、具体的な事情となると石川君ではもう供述出来ない、つまり真犯人でないと言い尽くせない取りこぼしが出て来ざるを得ないのであります。穴を掘ったとは言い得ても、どういう風に掘り進めていったかについては触れるところがない。たとえば深さは腰ぐらいと言い、横は一メートルくらいと言うが、その大きさまで一気に掘り進めたのか、あるいは屍体の大きさを途中で確かめ、また掘り続けたものか、正に冤罪事件に共通の、明らかにすべくして遂に明らかに出来ないところの事情をまざまざと物語っているのであります。
(続く)