『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
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この玉石は埋没された被害者の側頭部に置かれていた。
棍棒は被害者の埋没場所に近い芋穴から発見された。写真には棍棒と共に祝い用ビニール風呂敷の切れ端が見える。写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用。
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【公判調書3482丁〜】
「筆跡などに関する新しい五つの鑑定書の立証趣旨について」
弁護人:山下益郎
(二)
3 「綾村勝次鑑定書について」
(前回より続く)
ところで勿論のことでありますが、石川自供調書では玉石、棍棒について全く触れるところがない。したがって弁護団が本鑑定書によって明らかにしようとするところは、二つの物が何故そこにあったのかという点のみにとどまらず、ひいては石川自供の虚偽、架空性をも明らかにすることにもなるのであります。さて当審第二十六回公判で弁護人の「石は頭の大きさぐらいか」という問に答えて石川君は、「そうです。頭よりちょっと小さいけれど、何のおまじないでやったかと言われましたが、分からなかったので言いませんでした」と答えています。右:石川供述の意義は極めて大きいのであって、大野喜平作成の実況見分調書に見られる如く、捜査当局もまた本件犯行に関係あるものとして玉石を領置したことと符号するものであります。同時にこのことは捜査当局自身が、玉石が存在する筈のないところに存在していたことに注目し、犯罪に関係ありという前提に立って、石川を問い詰めていることをうかがわせるに充分であります。
然るに当審で証人に立った捜査官はすべて異口同音に「気付かなかった」とか「覚えていない、忘れた」などという趣旨の証言を繰り返すのみでありました。
総体に石川自供調書から明らかなことは、真犯人だけしか知り得ないような事情、もしくは捜査官が関心を示さない事情、あるいは関心を持ったが真相の把握出来ない事情については全く触れるところがなく、逆に、捜査官が知っていること、または知り得たであろう事実関係、または客観的事実から一般的に推測し得る事実についてはまことしやかな供述が記載されているということであります。しかして、この玉石、棍棒こそは、真犯人しか知り得ない決定的に重要な物(ぶつ)なのでありました。
本鑑定書は、玉石、棍棒が狭山市内および周辺地域の墓制葬送習俗に深く関わり合いのあることを明らかにしたのであります。このことは前述の如く、石川自供の架空性を暴露することになるだけでなく、本件狭山事件の根本的性格、つまり一不良青年の身代金目当ての単なる誘拐事件として見るのか、あるいは被害者:中田善枝とも面識ある複数犯人の手による恐るべき謀殺事件として把握するのが正しいのか、まさに事件の核心に触れる重要な鍵がここに与えられたのであります。玉石、棍棒の存在は、犯行の残虐性とは別に、真犯人の被害者に対する仏心をも表わすものなのであります。
われわれ弁護団は狭山事件について、未だ解明されていない数多くの事実のあることを指摘し、これらの問題の解明は直ちに石川君を無罪に導かざるを得ないものであることを訴えて来たのでありますが、裁判所、検察官が共々に、本鑑定書が明確にした諸点に謙虚に耳を傾けることを衷心(注:1)から要望するものであります。
本鑑定は結論として「昭和三十八年五月四日、埼玉県狭山市入間川二二五⚫️番地(現・祇園地区)農業:新井千吉氏所有にかかる私農道より発掘された屍体埋没状況は、当該地方における土葬の形式と関係があり、屍体の右側頭部に接して玉石一個が発見された埋没状況は狭山市内および周辺地域に伝承されている墓石(拝み石)の墓制と関係ありと判断される」と断定しています。
本鑑定人らが右結論を持つについては、現地に赴いて、狭山市内の広瀬、笹井、根岸の各地区に檀家を持つ、真言宗智山派光明寺の管理墓域を実地に検討し、さらに土地の古老および狭山市内教育委員会教育長兼野々宮宮司:宮崎茂景氏、富士見地区前自治会長:水村勝之助氏などから貴重な証言を得、また埼玉地方における民俗調査事業として最も水準の高い「埼玉の民俗」(埼玉県教育委員会編)に記載されている各事実を綜合して得た判断であります。特に鑑定書添付のカラー写真に明らかな如く本件玉石に匹敵する大小の拝み石(墓石)が埋葬地の上に安置されている各事実は極めて示唆に富むところであります。
(続く)
注:1 衷心(ちゅうしん)=まごころの奥底。こころの奥底。心底。
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拝み石は埋葬地の上に安置されそれを拝む。つまり地表に安置された石を墓石とみなし拝むのである。狭山事件での玉石は被害者の側頭部に置かれていたわけで、これは地中の中に玉石が存在する状態であり、意味合いが全く違ってくる。これでは拝み石の意味はなくなり、単に関東ローム層にに存在し得ない石塊が被害者と共に見つかったということに過ぎないことになる。玉石は被害者の後頭部に打撃を与えるため使用し遺体と共に埋めたと見るのが妥当ではなかろうか。
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