『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
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【公判調書3480丁〜】
「筆跡などに関する新しい五つの鑑定書の立証趣旨について」
弁護人:山下益郎
(二)
3 「綾村勝次鑑定書について」
(前回より続く)
新しい三つの鑑定書は、それぞれ別個の独立テーマを与えられています。文章起草能力、読み書き能力、筆跡の鑑定がそれでありますが、同時に各鑑定書は相互に補完し合うことによって、全体としての意義は石川自供内容の架空性の判断に有力な手掛かりを与えることになっています。弁護団は筆跡に関する三つの鑑定書を新証拠として裁判所にその取調を申請するものでありますが、これら鑑定書が投げかけた重要な問題は、石川自供の架空性が裏付けられたこと及び第一審が有罪の決め手としたこれまでの関根・吉田・長野鑑定の証拠価値を根底から再検討すべき機会が与えられたということであります。しかも旧鑑定については既に述べたごとく対照資料が不適切であること、警察の周辺で作成されたものだと批判する余地があることであります。
筆跡鑑定の分野における"科学"の問題は、現在の水準においても極めて初歩的なものであることは、当審において戸谷鑑定人がく鋭(原文ママ)指摘したところであります。
新しい三つの鑑定書は国語学上の学問的成果の上に立って、誠に科学的筆跡鑑定の名に価するものであることは明白であり、当裁判所もこのような見解に異論のあろう筈がないと思料いたします。
第一審の過ちを当裁判所が再び犯すならば、我が国裁判史上、例を見ない汚点を残すことになりましょう。直ちに取調べるよう強く要望するものであります。
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「玉石、棍棒」に関する和歌森、上田鑑定書について
屍体埋没の穴の中にあった玉石はどうしてそこに置かれていたのか。芋穴の中にあった棍棒はなぜそこに置かれていたのか。この疑問を明らかにしようとするのが本鑑定書であります。ある捜査官は棍棒について、山狩りの際に隊員が捨てたのではないかと証言していますが、将田証人の証言によれば、棍棒を持ち歩いて聞込み捜査をした事実が明らかとなっています。しかもこの棍棒は祝い用ビニール風呂敷と共に芋穴の中に置かれていたのであります。祝い用のビニール風呂敷は誰がそこに置いたのか。当審で証人に立った、被害者の実兄:中田健治は、五月四日まではその風呂敷を妹が所有しているのを見たことがないと証言しました。あたかもこれに符号するかの如く第一審の押収目録一覧表のうちビニール風呂敷のみが「所有者不明」と記載されているのであります。右:中田健治は屍体発掘の日に現場にカメラを所持して行ったほどに冷静な人ですが、同人は現場でも風呂敷は妹のものでないと明言しています。つまり、玉石・棍棒・祝い用ビニール風呂敷が被害者善枝のものでないことが明らかとなっています。したがって、この三つの物を巡る謎の中に本件解明の重要な手掛かりがあるのではないか。このような問題意識から求められたものが本鑑定書なのであって、絶対に見逃すことの出来ない論点なのであります。
(続く)
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埋没された被害者の側頭部付近から見つかった玉石。弁護団はこの玉石は狭山市内および周辺地域の墓制葬送習俗に深く関わり合いがあるとの主張を展開する。
遺体発見現場から近い芋穴の中から、棒きれとビニール風呂敷の切れ端が発見されている。弁護団は、この棒きれも狭山市内および周辺地域の墓制葬送習俗に深く関わり合いがあると主張する。
事件当時の埼玉県内には、火葬よりも土葬形式で屍体を埋める風習がひろく伝わっていたという。その土葬に際し、実際の埋葬地とは別に拝み墓を設け、供養はその拝み墓に対して行なわれ、すなわちこの拝み墓にはその目印として地表に石が置かれたのである。目印として地表に置かれた玉石と、まるで隠蔽するがごとく地中に埋められた玉石とは、その意味は全く相反すると老生は考える。この玉石に被害者の血痕が付着していたかどうかは不明であるが、どうもそのような用途で使われた石ではないだろうか。
棒きれに関しても、弁護団の言わんとすることは、これは犬はじきと呼ばれ、土葬された地表に弾力のある木材を湾曲させ差込み、小動物が土葬された場所を荒そうとした場合にその湾曲させ差込まれた木材がバネが弾かれたように伸び、その衝撃をもって小動物を退散させるという、やはり埼玉県内に伝承される墓制葬送習俗を踏襲したものと主張する。しかし、本件の棒きれは芋穴の底にあったのである。
玉石が被害者の遺体埋没場所の地表に置かれ、棒きれが芋穴の中ではなく、同埋没場所地表に湾曲させ差込まれていたとなれば、弁護団の主張は概ね同感出来るが、この二点はむしろ隠された形で発見されている以上、この点に関し彼等の主張に同意は出来まい。