アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1113

『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』

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【公判調書345丁〜】

(前回より続く)

佐々木哲蔵弁護人=「私の経過事を申し上げて恐縮でございますが、事は公正な裁判に関する公の事柄と思いますので御耳障りとは思いますが、敢えて一言だけ申し述べることを許して頂きたい。それは、裁判所も御承知と思います例の八海事件、これは私が本日列席の青木弁護人らと共に弁護を担当したものですが、この事件は事件後十八年目に三度目の最高裁で、裁判官の全員一致で無罪に確定したものです。それまでに一つの地方裁判所、二つの高等裁判所、そして一つの最高裁判所すらが、いずれも確信をもって有罪死刑の判決をした事件であります。最高裁で、全員一致による無罪確定というのですから、それだけでも十分に白と言い得ると思いますが、この事件が全く吉岡の単独犯行であり、他の四人は白も白、純白の白であることがその後、吉岡の出所後の告白で、今では全く明白になったのであります。

八海事件の四人の被告人らが、何月何日、ある所で、こうこう、こういう具体的な相談を重ねた、そしてそれぞれ分担を決めて、現場で、それぞれこういう実行行為をしたということを、あたかもこの目で見たように書いてある、しかもこれを、確信を持って認定したというこれらの事実が、実はことごとく真っ赤な嘘であることが、今や白日の下に明らかにされたのです。この真っ赤な嘘で日本の高等裁判所最高裁判所までが、無実の者に死刑の判決をしたということ、それは厳然たる事実であります。このような例は、実際上、日本の裁判所としては例外的なものかも知れません。然(しか)し裁判を受ける被告人にとっては百パーセント、裁判の誤判の問題になるのです。

最高裁までが、この恐るべき誤判を犯した原因は一体何でしょうか。それは畢竟(注:1)するに、裁判官の予断であることが多くの人々の一致した意見だったのです。この予断ということは換言すれば、客観的な証拠よりも主観的な心証を重んずるという態度であります。それは一旦、こうと思い込んだ以上は、他の反対証拠、他の反対の場合の可能性について目をつぶり、耳に入れないという態度であります。被告人の自供が客観的事実に合わない分は、被告人の思い違いということで片付ける、客観的な第三者のアリバイ証言は、有罪の認定に合わないというその事だけで措信(注:2)しないということになる。合理的な疑いについては、必ずしもそうとは言い切れないという形の反論をとる。そして常識を無視した理屈で捜査官をかばう。これらが、無実の者を死刑にした八海事件誤判判決の原因だったことが、今や八海事件の貴重な教訓として我々の前に明らかにされているのであります。

私にはこの点で、本件第一審判決の認定の仕方が、八海事件有罪判決の場合に非常によく似ているように思われるのです。一例だけ申しますと、万年筆発見の場所は、石川君の家の現場へ行った人なら誰でも直ぐ分かる所である。直ぐ気が付かないということのほうがむしろ経験則に反する。勿論うっかり"へま"をして見つけなかったということもあり得ないことではない。然し、いやしくも警察官が家宅捜索の目的で、何十人もの人が何時間も、二回にわたって根こそぎ捜して見つからなかったという、そのような通常あり得ないことを単に警察官の"へま"のためだということで片付けるというのは、少なくとも厳格を尊ぶ裁判上の事実認定の仕方としては許されないと思う。実際は"へま"をやったのかも知れないが、然し、裁判上の事実判断としては少なくとも、その"へま"をやったということについての何らの補強資料が要ると思う。それを待って始めて"へま"を認定するのが厳格を尊ぶ裁判上の事実認定の正しいあり方であると思う。 第一審はこの点で警察官の"へま"のためであったというだけで、他の補強資料らしきものは何も示していないのである。これは有罪を予断し、その予断の邪魔になる合理的疑いを理由なく排斥した八海事件と同様であるという所以であります。

本件の場合、本日付の証拠調請求によって求めているものは、本件のこれまでの取調べについて、未だ解明されることなくして残されていた合理的な疑いに関するものばかりであります。本件が死刑事件であること、当審が最終の事実審であることを考慮するとき、被告人、弁護人が一致して、必死になってその取調べを求めているそれらの点についての審理を、あますところなく尽くすことこそ、適正手続きによる処罰を保障している憲法第三一条の要請でもあると固く信ずるものであります」

(続く)

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注:1 、畢竟(ひっきょう)=つまるところ。ついに。

注:2、措信(そしん)=信頼をおくこと。信頼すること。

写真は八海事件の無罪判決が下された模様である。この事件は映画化もされている。