『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
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事件直後、井戸に飛び込み自殺した男の報道に関し、私は単に担当記者らが部数を伸ばすための煽り記事と捉えていたが、どうやら、そうとも言えぬ様相を弁護人が明らかにしている。
【公判調書3445丁〜】
「第六十四回公判調書(手続)」
証拠の開示に関する発言 別紙一記載のとおり
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別紙一 "証拠の開示に関する発言"
(前回より続く)
松本弁護人=「開示記録中、中島イクの供述などによれば、善枝が五月一日、ガード下で人待ち顔に佇(たたず)んでいたとあります。ガード下は、西武運輸の事務所から近い、見通せる場所であります。しかも、最も決定的なのは、奥富玄二が五月三日以降、善枝殺しが大々的に問題になり、警察官が集中的にその付近についての聞込みをやっている段階で、格別の理由もなく自殺したということであります。これは疑いの上にも疑える状況を自ら作ったということであります。
被告人に対する嫌疑の状況と、奥富玄二に懐(いだ)かれていた嫌疑の状態とは、本質的に違うのであります。石川一雄君に若干の疑いがあるとしたら、その十倍も百倍も奥富玄二に疑いがかけられて然(しか)るべきものであります。
奥富玄二の筆跡鑑定書も開示されていませんが、仮に鑑定の結果がどうであろうとも、単にその鑑定の結果だけによって同人に対する疑いを晴らすべきではありません。
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山梨検事=「奥富玄二の筆跡に関する鑑定書はありません。ただし、鑑定の結果は弁護人に開示しました」
松本弁護人=「それでは、その点はあとに検討することにしまして、石川君は、五月四日に死体発掘現場へ友達と一緒に見物に行っております。それらの状況からすれば、私の今言ったことが裏付けられると思います。従って、被告人に対する嫌疑では確定的な物証、或いは人証によるものは全くない、つまり合理的な疑いを構成されるところの物証は自白によって裏付けられるもの以外は無いのであります。
しかし、その自白は、前述の通り、全く虚偽架空のものであります。従って、被告人に対する嫌疑が、一体如何なる点を根拠にしてなされたものであるかについては例えば、石川が東鳩の東京製菓へ勤めていたことがあって、その際、本件犯行に使用されたタオルを入手し得る地位にあった点についての捜査関係書類が非常にたくさんある。そのような物には、全く信憑性がありません。
本件犯行に関する全証拠が開示されないなら、何故、被告人の犯行だということか明らかではありません。例えば、五月三日以降の山狩り実施の状況報告書が開示されなければ、何人の捜査員が、どの範囲にわたって山狩りを実行したか、これは五月十一日に発見されたスコップが、石田豚屋の物であるという論断からすべての構想が成り立っているのであります。何故、百数十メートルしか離れていない畦道から、〇.八メートルしか離れていない所にあったスコップが発見されなかったという疑いが鮮明し得る鍵となるでありましょう。
手拭いについても検察官は、その中の数本が不明であると主張しますが、それについて、どこまで確実な裏付けがなされたか。従って手拭いについても捜査書類が開示されるべきであります。
自転車からの指紋採取の報告書や鑑定書もあるでありましょう。又、足跡の現場写真も、有るのか無いのかの報告書もあるでありましょう。二月十日の諏訪部証言にも出る、発掘現場からあまり遠くない所発見された地下足袋を領置したということですが、それなら地下足袋に関する書類がある筈であります。
被告人の衣類について、血痕付着の検査をした筈なのに、その書類も出ていません。又、被告人の、当初の行動に関する捜査報告書、供述調書、その中には、当時、被告人とよく行動を共にした水村庄一、石川太平、川又照夫たちの家族関係などが入っておりますが、それらの書類も提出されておりません。それらの書類について検察官は提出を求め得る地位にあるのでありますから、全面的に開示されることが本件の真相を究明する唯一の保障であると考えます。そのようにして、検察官手持ちの証拠関係の開示の必要性があるので、これは検察官の公益的な立場からすれば極めて当然の事柄であります。これは、国際的にも一つの潮流になっているのであります。
(続く)
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私が思うに、当時の弁護人らのもとには一般市民や事件を知る地元の人々、またもしかすると良識ある捜査員等からの情報提供が寄せられていた可能性は否定出来ない。したがって今回の弁護人による供述にはそれ相当の根拠があると思えてしかたないのだが・・・。