『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
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【公判調書3443丁〜】
「第六十四回公判調書(手続)」
証拠の開示に関する発言 別紙一記載のとおり
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別紙一 "証拠の開示に関する発言"
松本弁護人:(前回より続く)自白自体は非常に不合理で、信憑性も極端なまでに欠如しています。例えば善枝を連行したと言われている連行の方法、状況についても、自白の内容は、善枝の性格なり、当時の客観的な状況からみて極めて不合理であります。強姦殺害の方法も、全く善枝が無抵抗で目かくしをされ、後ろ手に縛られたということはあまりにも不合理である。何一つ真実性が無いのであります。
強姦の方法についても然り、運搬の方法も不合理であります。五十四キロの善枝の体を、雨の中、滑り易い所を、抱きかかえて運ぶという点も不合理であって、その点の説明がありません。吊り下げたという客観的な証拠もない。むしろ、否定的に考えるべきであります。脅迫状についても全く同様です。
自白による犯行経路も特に信憑性のない極めて不自然なものであります。
昭和三十八年七月一日付検察官に対する供述調書二通のうちの一通目では、被告人は、四本杉の所で殺害し、強姦し終わってから、二十メーター離れた檜の木の下で、あれこれ考えていたが、そのあと芋穴へ運んだ、と言っております。芋穴までは、二百五十メーターくらいあり、その時は、明るく、発見され易い時間であったのに、何故そのような事をしたのか疑問があります。又、松の木の下へ戻り、脅迫状に訂正を加えて、その後、縄を探しに出かけたという。縄を取った所は、松の木から二百メーター離れた芋穴と反対の方であります。そこから縄を持って来て、芋穴へ吊るしたという自白は、到底真実とは考えられない不合理なものであります。
七月一日付の第二回検察官調書の、本、鞄を捨てたという点についても、自白と現実に鞄の発見された場所とが大いに違っています。本と鞄の間に道を挟んで百数十メーターの距離があるのに、自白では、先ず本を捨て、それから近くへ鞄を捨てたという。このように、自白の不合理性が本件の第二の基本的特徴であります。
開示の必要性について述べます。
本件解明のため、どの程度の捜査が行なわれ全体にどの程度の証拠が収集されたかを知る必要があります。
次に、全体的に収集された証拠のうちで、被告人に関係あるものがどの程度あるのか。そのうち、本件の裁判に提出されていないものにどのようなものがあるのか。それが被告人のために果たして不利な情況証拠なのか、若しくは、被告人と犯行との結びつきを否定し、或いは弱める証拠ではないのか、という点についての探究が必要なのであります。
第三に、全体の証拠により、何故被告人が犯人として嫌疑を生じたか、その根拠を明らかにすべきであります。つまり全体の証拠の中で、被告人にどのように関係するのかを知る必要があります。
本件は、自白に基づく情況により始めて作られた内容であります。
この前、検察官が開示した証拠中、例えば五月六日に農薬を飲んで井戸へ飛び込んだ奥富玄二についての捜査関係書類があります。被告人に対する嫌疑が、如何なる状況の下に展開したものか、依然不明であります。奥富玄二が石川君と比較にならない濃厚な嫌疑があるということが、この開示証拠の中から受けとめられるのてであります。つまり、奥富玄二は、中田家の元作男で、BのMN型であります。同人は、当時三十才であった。開示された中田登美恵の供述調書では、五月二日夜、佐野屋前に現われた犯人は普通の声で、年令は二十五、六才二十七才から三十三才くらいの感じであったと思う、と述べております。又、登美恵は、おとなしい、素直な感じを受ける人である、とも述べている。それと奥富玄二の年令性格は、疑いの目をもって見れば、非常によく符号しているのであります。奥富玄二が当時勤めていた西武運輸の班長、或いは同僚の供述中に、同人の、五月一日の犯行時間帯におけるアリバイが無いことについての客観的な証拠が存在するのである。というのは、奥富は、当日午後三時四十分、西武運輸営業所を出たというように、早退したというように書いてあります。そして又、五時から七時頃までの時間帯における行動についての捜査記録はありません。五時までの時間、或いは七時以降の時間についての同人の行動に関する記載は無い。又、死体発掘現場と同人の新築し、五月一日以降ずっと宿泊していたと思われる家屋は至近距離であります。
奥富玄二には強い動機がある。つまり、同人は新築に相当かかり、又結婚を数日後に控えて、金に困っていたと思われるのであります。又同人は、タオルを首に捲いていた。地下足袋も履いていたのであります。
西武運輸には五月三日まで勤めていましたが、死体が発見された五月四日以降の動静は不明であります。
(続く)
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ところで、「狭山裁判を支援する市民の会」より届いた手紙によると、現在、狭山事件再審請求に対応する裁判官は"家令和典"という方であり、同封された葉書の裏面に再審を即す文を記し投函するよう促している。宛先は既に印刷済みであり、もちろん切手代は自腹である。