アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1103

『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』

脅迫状と被害者の身分証が入れられていた封筒。その裏面上部、すなわち封緘部にはうっすらと〆の記入が確認できる。当時、封筒の封緘は蓋裏部分を舐め封を閉じていたことから、ここから唾液を検出し血液型を特定出来ないかという検証、鑑定が行なわれた。

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【公判調書3424丁〜】昭和四十七年八月四日

                  「第六十三回公判調書(供述)」

証人=三木敏行(五十歳・東京大学医学部法医学教室主任教授)

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(証人は、予め裁判長の許可を得たうえ、昭和四十七年五月三十一日付鑑定人大沢利昭、同三木敏行連名の鑑定書の写を参照しながら答えた)

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裁判長=「大学をお出になったのは、いつですか」

証人=「昭和二十年です」

裁判長=「東大ですね」

証人=「はい」

裁判長=「それからすぐに大学にお残りになったんですか」

証人=「大学に参りましたのは二十一年の四月でございます」

裁判長=「これは初めから法医学の方にお入りになったんですね」

証人=「そうでございます」

裁判長=「それから、例えば助手とか副手とかいろいろありますが、それはどういう風に」

証人=「昭和二十一年の四月から二十四年の五月まで東京大学の助手を致しておりました。場所は法医学教室勤務でございます。それから、二十四年の、その次の月から昭和三十二年の五月までは東北大学助教授を致しておりました。法医学教室でございます。それから、三十二年の次の月から四十五年の三月いっぱいまでは東京医科歯科大学の総合法医学研究施設、及び法医学教室におりました。それ以後、東京大学の法医学教室に勤務致しております」

裁判長=「四十五年からですね」

証人=「はい」

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宇津弁護人=「糊と唾液の鑑定をなさったわけですけれども、この鑑定書のどの領域、あるいはどの部分が三木さんであり、大沢さんであるか、分けることが出来ますか」

証人=「はい、出来ます」

宇津弁護人=「それを述べて頂きたいんですけれども」

証人=「私たちの提出致しました鑑定書の十一ページの中頃から二十五ページまでが私が担当致しました部分でございます」

宇津弁護人=「と、つまり、十一ページの中頃というのは『第二章』という意味に聞いていいんですか」

証人=「はい、そうでございます」

宇津弁護人=「『第二章、唾液の試験』 以下二十五ページといたしますと『鑑定』の部分は」

証人=「二十五ページの終りから三行目までと、それから『鑑定』の部分の二十六ページの『三』、それが私の担当でございます」

宇津弁護人=「そうすると、三木さんは『第一章、糊の試験』には関与されなかったんですか」

証人=「致しません」

宇津弁護人=「鑑定書の第一章のうち『Ⅲ考察』というところがありますが、この考察にあたって合議されたとか、そういうような形でも関与されてないんですか」

証人=「意見の交換は致しましたけれども、責任を持つことは致しません」

宇津弁護人=「そうすると、糊について各種の試験が行なわれていますね」

証人=「はい」

宇津弁護人=「それについては共同の作業、あるいはお立会い、そういうものもなすってないわけですか」

証人=「致しておりません」

宇津弁護人=「そうすると、同じ第一章の糊についての考察にあたって、どの程度話し合われているのですか。つまり考察において試験結果の部分と、それから例えば、でんぷん糊が存在するためにポリビニルアルコールの存在が確認出来なかったとか、そういう判断部分がありますね、そういうことがすでにこの考察の内容が大沢先生によって出来ていたものを、一応、三木さんが聞かされたという程度なのか、あるいは、合議の結果このような結果が出されたのかですね」

証人=「一応、大沢さんが原稿を作っておかれまして、そしてこういうことであるというのを見せられまして、それで、これでどうだろうかという意見を若干そこで話し合いました」

宇津弁護人=「それによって、あなたの意見によって考察の内容が変更された部分がありますか」

証人=「私、記憶しておりませんけれども、て、に、を、は、は少直(原文ママ)したかも知れませんけれども、内容的な訂正、変更はございませんでした」

宇津弁護人=「それでは第二章の唾液の試験に移りますが、この、やはり考察を拝見しますと、二十五ページの初めから四行目からですが、いわゆる封緘部の血液型物質の存在を検査したら、結局B型質を否定出来ないような成績が得られたという下りがありますね」

証人=「はい」

宇津弁護人=「この点についてお尋ねしたいんですが、十六、十七ページの表三と十九ページの表四、これがいわゆる解離試験の検査結果だと思いますけれども、この、例えば表三で言いますと、検体封筒封緘部分Dについて、抗Aのところに検体が十個の場合にそれぞれまあ、強度と申しますかね、食塩水法によっても2、血清法によっても2と、で、抗Bのところで、その表にあるように、検体D十個、この場合は食塩水法3、血清法3、となっていますね、この欄を見ましても、これは考察の表現によれば『抗B凝集素の解離が認められB型質を否定出来ないような成績が得られた』に対して、やはり抗A凝集素の解離が認められ、A型質も否定出来ないような、ということも言えないわけじゃないのではないかと思うんですけれども、例えば表三の只今のところによりますと、その辺はどうでしょうか」

証人=「それは考え方だと思うんですけれども、例えば表三の十八ページの真ん中頃に濾紙のみというのがございます。それの十というところがございますですね、そこにも抗Aが2という欄がございますが、ですから、濾紙だけでも十枚も使うと抗Aが出てくるということはございますので、やはりこの検体のほうも十枚使ったということで、たくさん使ったために出てきたんだろうと、そういう風に解釈致しましたので、抗Aはこれは非常に非特異的に出てきたものだろうと、こういう風な考えを致しましたので抗Aの解離というのは一応まあ、考えに入れなかったということでございます」

(続く)