『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
事件当時の狭山近郊。写真は狭山事件裁判資料より。
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【公判調書3376丁〜】
「第六十二回公判調書(供述)」
証人=野本武一(六十歳:団体役員=部落解放同盟中央執行委員、同和対策審議会専門委員、埼玉県社会福祉審議会委員)
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山上弁護人=「で、あなたは警察が筆跡等を集めた文書をご覧になったようなことがありますか」
証人=「私どもはその中(勲)刑事部長と会った時に抗議をいたしました。で、一つは殺人犯として取調べる不当性、なぜ石川を別件逮捕という形で呼んだのかというそういう不当についてまず第一に抗議をいたしました。さらにもう一つは中(勲)刑事部長との話でありますが、そういう殺人犯としての取調べはしていない、こういうことをはっきり中(勲)刑事部長は私どもの前で言ったわけです。で、さらにその中で筆跡については百二十人前後の人々から筆跡を取ったと、これは分厚いメモがございました」
山上弁護人=「それはあなたもご覧になった」
証人=「その中身は見せてくれなかったわけですが、このくらい(十センチくらいを指で示す)の物を見せてくれたわけです。それと、拷問その他による取調べはしていないと、そういうことは中(勲)刑事部長から言われました。しかし夜十一時頃までは拷問ではないだろうと、十一時頃までは調べると、で、朝は八時頃から取調べにあたると、こういうようなことを言うと同時に、取調べにあたっては堀兼地区と石田豚屋を中心に捜査を行なったと、さらに加害者の血液型がB型であるということでB型の人たちを調べた、部落差別という人権問題についての考え方は毛頭ないという、そういうことを中(勲)刑事部長の弁解があったわけです」
山上弁護人=「それに対しては証人としてはどういう点を特に説明をして不当な逮捕ということになったんですか」
証人=「私どもは、もう一つはその刑事部長と会うために堀兼の支所を訪問した際、たくさんな新聞記者に取り囲まれました。部落解放同盟の責任者という立場で取り囲まれて、あと二人逮捕者が出る、これを知ってるかと、こういうようなことが新聞記者の口から言われたわけであります。そこで私どもはそういうことを知る由もないだろうと、そういう点についても記者からあと二人は出るというようなことを言われた、これは新聞記者自身がそういうことを勘で言うんではなくして、警察自らがあと二人の犯人が部落から出るんだという考え方の中でそういうことを発表しているんじゃないかと、こういう抗議を行ないました」
山上弁護人=「このあと二人逮捕されるかも知れないというのは誰を指しているということはあなたは後に分かりましたか」
証人=「それであとすぐ東島明と石田、部落出身の二人が逮捕されたということです」
山上弁護人=「東島明という人は部落出身ですか」
証人=「二人とも部落出身であります」
山上弁護人=「東島はどこですか」
証人=「東島は柏原部落です」
山上弁護人=「石田一義さんは」
証人=「これは菅原四丁目の出身であります」
山上弁護人=「で、あなたはその後、自分の足で部落に対する不当な見込み捜査であるという観点から足を運んでいろいろ調査をなさったことがありますか」
証人=「あります」
山上弁護人=「それをちょっと説明して下さい」
証人=「その前にこういう問題があったわけですよ。五月二十四日の埼玉新聞では石川くんの地区を指して特殊地区という見出しで、犯罪の特殊地区、そういうような見出しのもとに大々的に差別キャンペーンを張ったわけであります。これは埼玉新聞だけでなく石川くんが逮捕されると同時にマスコミ、全国を挙げて差別記事を堂々と報道したわけです。で、これに対しても、当時の石川区長は埼玉新聞に対して区長として強い抗議を申し入れております。私どもも埼玉新聞社を訪問して、その差別記事の不当性について抗議をいたしました。で、そういう中で私どもは差別というものの持つその悪質な一体となった姿、これを糾明するためにいろいろ活動をしたわけであります。で、その中で問題になって参りました五月一日の石川くんの行動を証明するための東中学校における体育の問題について東中学校を訪問して当時の日誌を見せて頂きました」
山上弁護人=「五月一日の石川くんの行動を裏付けるために東中学校に行って日誌を見たいという具合に思われたのはどういうことからですか」
証人=「これは高裁に移ってからの問題でありますが、石川くんの五月一日のアリバイを明らかにするためには石川くんが法廷で述べた、入間川駅の荷小屋で学生が自転車の後ろに"こも"を積んで歩くのを見たというその証言で、これを裏付けをするために私どもは学校を訪問しました」
山上弁護人=「そうしますと時期的には高裁に移ってから石川くんの自白撤回をしたあと石川くんがその間の説明をした以後ということですね」
証人=「はい、で、その中で五月一日には体育があったということが明らかに日誌の中にあったわけです」
山上弁護人=「それは何年何月頃か覚えていませんか、あなたがそれを発見した日は」
証人=「これは高裁に移ってからですからね」
山上弁護人=「高裁に移ったのは三十九年の九月ですね」
証人=「この点を日誌を捜しているわけですが」
山上弁護人=「現在から遡って一、二年前か、三年前か、そこら辺は分かりませんか」
証人=「四年くらい前じゃないですか」
山上弁護人=「その時に学校を訪ねて行ったんですね」
証人=「はい」
山上弁護人=「学校を訪ねて行ったのは誰と誰ですか」
証人=「私と東京都連の清水書記長、さらに執行委員の田中さん」
山上弁護人=「そこでどなたに会いました」
証人=「女の先生だったんですが」
山上弁護人=「名前は」
証人=「ちょっと分かりかねますが」
山上弁護人=「そこで」
証人=「確かに会場で体育祭をやっていたという確認をしたわけです」
山上弁護人=「この学校の日誌で」
証人=「はい」
山上弁護人=「それはどういう風な体裁で書いてありましたか」
証人=「それは簡単に当日はこういう形で体育祭をやっていたというそれだけなんです」
山上弁護人=「それから」
証人=「で、それを弁護士にも私どもは申し出ました」
山上弁護人=「どの弁護士さんですか」
証人=「それは石田先生か橋本先生か、どちらかに話しております。その後、柏原地区の先生から協力者が出てきました。積極的にそういうものの真相を明らかにしたいという協力者も出たわけです」
山上弁護人=「それは何という先生ですか」
証人=「その先生の名前もちょっと分かりかねるんですが」
山上弁護人=「今調べたら分かるんですね」
証人=「・・・・・・その当時の先生が果たして居るかどうか、今はっきりしませんが。で、その後その先生の発言を中心にして私どもは堀兼中学校へも行ったわけです。で、堀兼中学校の先生にも聞いたけれども、その当時のことは忘れて細かく言えないということで、協力が得られませんでした」
(続く)