『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
【公判調書3304丁〜】(昭和四十七年六月十五日)
「第六十一回公判調書(供述)」
証人=中田直人(四十一歳・弁護士)
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橋本弁護人=「そうしますと、一審の公判の当時被告人のために支えになってくれた人というのは弁護人のほかは、家族だけということでございますか」
証人=「いえ、六月二日の日ですが、つまり、二回目の接見をする前の日ですね、だったと私は思いますが、石川くんの家へ行っている時に、部落解放同盟の野本武一さんに会いました。それから、亡くなられましたが国民救援会の難波先生などにも会いましたし、それからその後、部落解放同盟の台東の日ですが、清水さんと、田中さんと言われたと思いますが、そのような方がよく家族のところへも来ておられたし、私どもとも会ってました。そして状況を話したりしたこともありました。今申し上げた方々は、一審の公判もずっと傍聴をされ続けて家族をも励まして来られたと覚えています」
橋本弁護人=「野本さんは、本法廷で後日、証人として証言される方ですね」
証人=「そうです。なお私どもに紹介された遠藤さんという狭山の市会議員の方も、クリーニング屋さんだったんですけれども、よく石川さんの家へ出入りしておられました」
橋本弁護人=「判決は、三十九年の三月十一日に言い渡されましたが、この判決を控えまして、証人が特に被告人と面接をしたことがありますか」
証人=「あります。会った日なんですが、私は従来、どういうわけか二日前、つまり九日に会ったと考えておりまして、人にもそういう趣旨で話をしたことがあるんですが、一昨日、念のために訴廷日誌を見ましたところ、九日には浦和の拘置所へ行ってるような余裕がない日程が入っておりまして、その前後に石川くんに面会した旨がある記載がないので、二日前じゃなく四、五日前だったかも知れませんが、いずれにしても会ったことは確かであります」
橋本弁護人=「会った場所は」
証人=「浦和の拘置所であります」
橋本弁護人=「接見は一人ですか」
証人=「そうです」
橋本弁護人=「その時の模様を教えて下さい」
証人=「今、印象に残っておりますのは、何かその日が、日にちは分からないんですが、大変天気が良かった日なのです。で、接見室自体が大変、何と言いますか、明るかったという記憶なんです。で私、それが、弁論を終わって初めて石川くんに会った時なんですが、まず私どもの弁論を聞いたかという話をしました。そして、それを、いくつかの点で説明しながら、君はずっと自分でやってきたと言っておったし、面会の時に、僕たちがいろいろ疑問点を聞いても、間違いない間違いないと言ってきたけれども、僕らとしてはどうしてもよく分からなかった。君が述べている自白が正しいとは思えなかったので、ああいう弁論をしたんだけれども、どう思ってますかという趣旨のことを聞いたと思います。ところが、一生懸命、私説明してるんですけれども、石川くんはちょっとうつむいてみたり、横を向いたり、言葉は悪いけれどあまり聞いているようじゃない、ふてぶてしいという態度なんです。それで私は、予測される判決のことを石川くんに伝えようと思って、なかなかそのことは切り出せなかったのですけれども、ふてぶてしいというか、ある意味では落ち着かない、きょときょとと言いますか、そういう態度であって、私がいろいろ説明しても、なかなかその話に乗ってこないものですから、私はやむなく、大変言いにくいことだったんですが、私どもとしては一生懸命努力したつもりだけど、十一日の判決は死刑の判決になるだろうということを言いました。いつそういう話をしようかと思いながら、迷いながら、言いにくいことを言った時に、石川くんの取った態度が、恐らくこれは、生涯忘れることの出来ないことだろうと思うのですが、今までうつむいたり、横を向いたりしていたのが、ひょっと、私のほうを見まして、にやりと笑いまして、いいんです、いいんです、と言ったんです。その時の、その笑い方というのは、不敵と言いますか、あるいは屈託のないと言いますか、私としては何とも説明出来ないような笑いなのですけれども、ともかく、君は死刑の判決を受けるだろうということを弁護人が言ってるのに、にやりと笑って、いいんです、いいんです、というのは一体どういうことなんだろうと思いまして、大変異様な感じを受けました」
橋本弁護人=「面接時間は、どれくらいですか」
証人=「はっきり覚えていませんが、結構長かったんではないかと思います、三十分やそこらはあったと思います」
橋本弁護人=「その時は、面接の制限はありませんでしたか」
証人=「そうです」
橋本弁護人=「なお、法廷での被告人の態度について、一言印象的なことを述べて下さい」
証人=「石川くんは、終始うつむいていましたね。看守が両脇に坐っていましたけれども、終始うつむいていましたし、私どもからすれば、裁判の進行に殆ど関心を示していないという風に受け取られるような態度でした」
橋本弁護人=「一審の経過の中で被告人のほうから弁護人に対して、何か、特別の注文がございましたか」
証人=「いえ、全くありません。私どもは、十二月から一月にかけての段階で、自白に対する疑問をますます強めていったわけですけれども、その必要上もあって何度か石川くんに会いましたが、まあ、大変朗らかそうな様子が続いているし、私どもが疑問として、こういう点は自白でこう言ってるがどうなんだということを繰り返し聞いても、自白の通りなんですと言うだけでした。それもまた、いろいろ私どもが尋ねるそれに対して、あれこれ石川くんが説明するということもあまりないんです。つまり自白の通りだと言うだけなんですね」
(続く)
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○八月七日付の消印で私の許へ手紙が送付された。
送り主は、「狭山裁判を支援する市民の会」である。
同封されていた手紙は次のとおりである。
なお、写真に見られる同封されたハガキは、支援者(つまり、私)が切手を貼り早急にポストに投函せよとの説明書きがあるが、これは一般大衆による裁判長や東京高等検察庁への投書、投稿なる行動により再審への早期な動きを促す、これは一つの前向きなアイデアかも知れない。