『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
(今回引用した記録は前回記載した被告人の上申書、および東京拘置所への電話聴取書の内容と関連している)
【公判調書3273丁〜】
事件番号 昭和三十九年(う)第八六一号
〈上申書〉
私は強盗殺人等被告事件に依り東京拘置所に勾留中の者でありますが、此の度出廷拒否の理由を陳述すべく上申書を提出する次第であります。
理由
第六十回公判廷拒否、午後から出廷したというものの裁判長殿を初め、検察官、弁護士、並びに傍聴人、更には狭山差別裁判糾弾闘争、応援に駆け付けて下さった全ての皆様に大変御迷惑をかけてしまった事は後記記入の事由の如何を問わず、誠に申し訳なく、今私は反省をしている次第です。さて、今回出廷を拒んだ理由は第五十九、六十回公判廷に於いて簡短ではありましたが申し述べた通りで、担当看守との抗議論争は後記するとし、先ずは抗議に至った問題の場所を簡単に触れます。
裁判所構内の廊下で、法廷の往復に通る裁判所裏側のほうの廊下で、地裁仮監よりエレベーターに乗り二階に出た所から約十二、三メートル間の左側(法廷に向かう廊下)に日比谷公園が一望出来る所であります。此の公園内には部落解放同盟を中心とする我が部落の兄弟姉妹たちを初め全国の支援者が応援に駆け付けて下さっている姿が見えるわけでありますが、此の支援者たちの姿を私に見せまいとし、此の廊下を通るたびに、五、六人の連行看守自らがカベを作る為に、公園側の窓際のほうに立ち、私と重なるように歩行を共にし、目隠しの役目を果たして居り、それは今回が例外ではなかった。だが今回も何時(いつ)もの連行方法であったなら屈服し難いが、私も飼い馴された犬のように主人の言う成り、看守の言う儘、逆らわずに従ったであろうが、今回の行為は人道上から見て許し難い人権無視も甚だしく、犬畜生以下の扱いされ、ついに忍耐も限界に来、堪忍袋の緒が切れ、語気鋭く抗議に及び、出廷拒否の事態を招く結果に至ってしまった次第であります。連行者看守との問答は次の内容の物であった。
私、今迄も公園内に居る支援者を覗かせまいとし、先生たち(私たちは担当をそう呼ぶ)は影になっていたが、それでも一部に過激な行動を起こす人がいるという事であったから仕方ないと思い黙っていたが、あの仕草はなんだ!頭に来ちゃう、もし私を公園内にいる支援者たちの姿を見せてはいけないなら予め、「石川には公園のほうを見せないようにするので、エレベーターを出たら影になるように」と連行者に指示しとけば今日のような不快な思いをすまい。が、あの挙動はなんだ。ここで止まれ!!。石川、お前はこちら側を、先生方(注、連行指揮者、田中部長の言葉)は石川のこちら側(公園の窓際)を重なって歩くように!なんて面前でやられたら気分を害す、と語気荒々しく喰ってかかったところ、帽子に金筋が入った警備隊長が、「拘置所は拘置所の考えでやっているんだ、君の指図は受けん!」・・・・・・俺は指田してんじゃない、拘置所の考えあってそうしてるなら承服し難いが従わねばなるまい。が、その場所に来てからとやかく言われたんじゃ不快だから、前もって指示しとけば今日の問題は起きまい。今までにだってそうやって来たのに何故今日になってそんな気に触るようなことをするんだ。此の通路を通るようになってもう二、三十回以上にもなるが、一度だって公園内にいる支援者たちに手を上げたり、合図を送ったり、声を上げたりして先生たちに迷惑をかけ、非協力した事があったか。法廷内に於いてもこの前など、傍聴者から声をかけられ怒鳴りとばしてやったら、あとで面会に来て、逆に叱られ、その真意を問われた程の協力までしてるんだ。もし何なら一層の事何処も覗えないように幕でも張ってしまえばいい、!!。・・・・・・「我々は君の指図は受けん、判ったか!」と警備隊長は同じ事を繰り返すのみで、私の言うことなど爪の垢ほども取り上げてくれなかった。
以上が法廷から戻って地裁仮監内での問答であった。
ところが、前記の連行指揮者の田中部長の態度余りにも露骨で、いつもの連行方法と異なっていた為に、不快を感じ、何か私に嫌がらせをし、それに逆らったら一気に「規律違反」を盾に懲罰を科せ、私を苦しめようとする空気が漲(みなぎ)り、こうした圧迫感、迫害的行為を受けては、神聖な気持ちで裁判に臨む事が出来ないので、出廷を拒否してしまった次第でありますが、国家権力の手先である拘置所の役人に「法務省からの圧力によって部落民の私を差別的偏見を持って接しているんじゃないか」の問いに、もちろん否定し、「拘置所は独立したもので、何処からも圧力を受けてない、従って石川だけを差別視してるなんてナンセンスだ!」と言っていましたが、結局、前述のように連行指揮者に喰ってかかったことで、「担当者に暴言を吐いた」と見做され、午後四時四十五分頃、東京拘置所に戻ると早速私の独房の出入り口に「取調べ」の木札を貼られ、そして十七日には警備隊室へ呼び出されて調書を取られ、更に右記の件に付き、去る四月二十日の午前八時三十五分頃、私達係の中沢主任の呼び出しがあり、懲罰の言い渡し室へ行くと本件に関与した警備隊長が居て、罪状を次のように述べて断を下したのである。
「去る四月十五日午後零時二分頃、裁判所の通路に於いて連行指揮者、田中部長が他の三人の先生が離れていたので、もっと寄るように言ったところ、君は、何故その場に来てからそんなことをやるのか、カベを作って見せまいとする、しないはともかく、そんなことは仮監にいる時、指示ととけばいい(原文ママ)、目の前でとやかくやられては気分を害す、頭に来ちゃう!と語気鋭く抗議に及んだ。よって暴言になり、本来は懲罰にするところだが、警備隊の調べ官からの報告で、君も反省しているということであるから今回は警備隊長(当人)の訓戒にする」・・・・・・私は嫌がらせをされたと思い込み、抗議したのだが、それが暴言に該当するならば反省します、と言って懲罰にかけられなかったわけでありますが、然し私は懲罰を伝々するのではなく、一部の過激な行動を起こす人がいるということを盾に一般の収容者たちと隔離し、何から何まで束縛しようとするその行為は誠に許し難いのであります。一部にせよ、そうした過激な行動を起こす人たちがいるならばビシビシ取り締まればいいのであって、それをしないで、私に抑圧を加えようとするその行為こそ、国家権力の私をして部落民への挑戦であると私は考えざるを得ない。裁判長殿も構内で起きた事であり、また私はどうゆう情況の下で差別的な扱いを被っているか、特にこの点を重視し、御調べ願いたいと存じます。それに、法廷に向かうあの通路を通れば、いやが上にも公園内が一望出来るわけでありますが、公園内にいる人たちは我が部落の兄弟姉妹たちや、全国の支援者たちであってみれば、危害を加える筈がないのみならず、私だって公園のほうを見たからといって何の合図を送るわけでもないのに何故公園のほうを見てはいけないのか、私にはどうしても納得出来ず、抗議に及んだのであった。
以上の出来事が今回の出廷を拒否した理由でありました。
昭和四十七年五月八日 石川一雄 指印
右は本人の指印たることを証明する
東京拘置所看守 斉藤忠夫
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