アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1046

『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』

【公判調書3270丁〜】

ここには「電話聴取書」なる記載があり、内容から見て、公判調書3117丁(狭山の黒い闇に触れる 1016参照)に記録されている被告人の上申に対し、裁判所が東京拘置所警備隊へ電話聴取した記録が記載されているようだ。ではまず先に、被告人の上申を再度確認し、その後、電話聴取書に目を通そうと思う。  

                                            *

【公判調書3145丁】押送に関する被告人の発言(第五十九回公判・昭和四十七年五月二十五日)

   被告人は証人宮内義之介の尋問に先立ち、特に発言の許可を求め、次のとおり発言した。

(発言の内容)

法廷の出入りのため廊下の所を通る時、解放同盟の人達が応援のため日比谷公園に集まっているのが見えると思って、看守の人達が壁を作ります。それが今日は特にひどかったので、私には、それが解せないので抗議しました。

行く時も帰る時も廊下へ入る境目の手前、つまり、日比谷公園が見える所の手前で、一旦止まれと言って、看守が壁になったので抗議したのです。それに対し、警備隊長が「君の指図を受ける必要はない」と言いました。私は、拘置所の指図に従わなければなりませんが、出かける前に指示して、黙ってそうすればいいと思うのです。

やっていけないとはいいません。やっていいから、わざわざ見えるようになってからやるのが不可解なのです。

そういう事は、検事がやらせているのだろうと思います。

前もって「今日は壁を作るから」と言っておいてくれればいいのです。

                                                                                       以上

○公判調書3177丁

一、被告人の出頭

「被告人は、午後一時四十六分、証人中田健治の尋問中、同証人に対する尋問調書に引用の速記録に記載の時期に出頭した」

二、押送ならびに出頭拒否に関する被告人の発言

「被告人は、証人山下初雄の尋問に先立ち、特に発言の許可を求め、次のとおり発言した」

(発言の内容)

『今日の午前中の出頭拒否について、裁判長宛ての上申書を看守に提出しましたが、午後から出頭する考えになったので、その上申書は撤回しました。それで、出頭を拒否した理由について、ここで述べさせていただきます。

前回出廷の時、地裁庁舎の仮監から上がって通路へ出ると、公園の方が見える所があり、公園に解放同盟の人が支援に来ているので、看守は、公園の方を見ちゃいかん、というのです。

それで私が、何故見ちゃいかんのかと聞いたところ、看守は、そんな事は答える必要が無いというのです。それで私は、何故私だけが見ちゃいかんのか理由を聞くために今日の出頭を拒否して、上司に面会をつけました。今日午後の法廷に出廷して帰ったら私の言い分を聞くということになっています。

看守は、解放同盟の人の中には過激な行動をとる人がいるから見てはまずい、というのです。私が、見ちゃいかんなら幕を張れというと看守は、お前らの指図を受ける必要はない、と言います。窓が開いていれば見たくなるのが人間です。

私は、これまで、公園の方を見なかったつもりです。私としては支援してくれる人にあいさつやお礼をしたいのは山々です。しかし、解放同盟の人が発言して私がそれに答えると、反則というのがあって・・・、今日も、この発言について拘置所で懲罰を受けるかも知れません。昨日の取調べでは、私が語気鋭く述べた、ということになっています。 或いは少し暴言みたいな事を吐いたかも知れませんが、私は、間違ったことは言っていません。

私は理由を問う権利はあると思います。

今日午前中、出廷を拒んだのは、見ちゃいかんという理由を問うためにやったことですが、詳しくは上申書に書いて提出します』            

○以上が被告人の上申内容である。これについて裁判所から尋ねられた東京拘置所警備隊長=本田孝信の返事は次の通りである。

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【公判調書3270丁〜】

                                    電話聴取書

受信年月日  昭和四十七年五月一日   午後四時三十五分

あて先         東京高等裁判所第四刑事部

事件番号     昭和三十九年(う)第八六一号

事件名         強盗強姦、強盗殺人等

被告人         石川一雄

発信者         東京拘置所警備隊長  本田孝信

受信者         裁判所書記官  小森正男

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〈要旨〉昭和四十七年四月十五日および同年同月十八日の公判期日における被告人の発言に関連してお尋ねですからお答えします。

一、四月十五日午後における被告人の発言は、恐らく、同日正午に午前の公判が閉廷され、被告人を東京地裁刑事庁舎地下の仮監へ戻す際の取扱いについてのものと思われます。

    当日正午の休憩の際は、拘置所職員七名にて被告人を貴庁刑事第二号法廷から前述の仮監へ下げたのでありまして、私もその七名の中に加わっておりました。押送の状況について申し上げますと、貴庁庁舎の二階の廊下を通る際は、被告人の左側に拘置所職員が並んで行進しました。というのは、同部分は進行方向左側が法廷および事務室になっているため、被告人と一般人の接触を避けるためそのようにしたのであります。

    次に、貴庁庁舎二階から地裁刑事庁舎二階の被告人専用通路に入ってからは、拘置所職員が、被告人の右側に並んで行進しました。これは、同専用通路は、進行方向右側が道路に面した窓になっておりますので、被告人の投身自殺又は逃走を予防するためにそのようにしたのであります。

   拘置所職員を被告人の左側から右側へ移す際、押送の指揮者が職員に対して指示を与えたことはありますが、被告人に対して指示を与えたことはありません。

   右はすべて、身柄の押送に関する法規に則って処置したものであります。

二、四月十八日午後の公判廷における被告人の発言の中に、被告人が、四月十五日に法廷において発言したことに関して拘置所職員の取り調べを受けた旨の発言があったとのことでありますが、当所としては、四月十五日の法廷における発言について被告人を取り調べたことはありません。四月十五日以後に被告人を取り調べたことはありますが、それは、別の事項に関して取り調べたのであります。

三、四月十八日の午前、被告人が出廷を拒否した理由について、同人は、一旦裁判長あての上申書を当所へ提出しましたが、同日午後出廷のため当所を出発するに際し、同人は、右上申書を取り下げる旨申し出ました。そこで、当方としては、被告人が、東京地裁刑事庁舎地下の仮監へ到着した後再度その意思を確認した上、取り下げとして取り扱いました。

                                                                                   以上

                                            *

(続く)