『原文を読みやすくするために、句読点をつけたり、漢字にルビをふったり、中見出しを入れたり、漢字を仮名書きにしたり、行をかえたり、該当する図面や写真を添付した箇所があるが、中身は正確である』
写真は事件当時の狭山市内。
【公判調書3265丁〜】
ところで、公判調書をめくるたび、かなり前に提出された上申書や証拠請求、それらの回答がしばらく後に唐突に現われるというこの記録形態に私は辟易しているが、これでは裁判記録を読もうなどという人間は今後、恐らく消滅するだろう。問いに対する答えは直結させ記録することが望ましいわけだが、しかし公判調書に目を通すと、問い(様々な上申書、請求)と、答え(裁判所の判断)の間に、それとは無関係な証人尋問が挿入され、結果的に非常に、且つ高度に読みづらい記録文書として完成させらている。
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事実取調請求に対する意見①
被告人石川一雄に対する控訴事件につき、弁護人の昭和四十七年二月十五日付事実取調請求に対する意見は左記のとおりである。
昭和四十七年五月十日 東京高等検察庁検事 山梨一郎
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記
第一 請求書第一の鑑定について
(一)第一の一の鑑定請求は、本件死体の死斑の状況、足首に縄を結んだ痕跡の有無、或いは被害者のはいていたズロースの状況などから、被告人の自白の信憑力を争うもののようであるが、先づ死斑の点についても、証人五十嵐勝爾の第五十四回公判において「(この死体は)うつ伏せになる前に、先ほど申したように、かなり長い間、あお向けの姿勢をとっていたのではないかと思う」長い間というのは「学者によって短い人だと四時間、長い人で六時間くらい死体が一定位置に放置されて死斑が発生したあと体位の変換があった場合、たとえばあお向けだったのを裏返しにしたというような場合には、一度出来た死斑は、完全には消失しないが、新たに下になった部分に死斑がまた起きてくると言われておりますが、私の経験からいっても、その(正確な)時間はむづかしい問題だが、確かにそういう事実はあり」本件は、まさに、その場合に該当すると述べているのであって、本件について言えば、被告人は、原審認定の如く、午后三時五十分頃被害者と出会って山へつれ込み、殺害後、一旦芋穴に死体を(あお向けに)かくし、午后七時三十分頃、中田方へ脅迫状を届けての帰り、スコップを盗んで、午后九時頃農道に穴を掘って、死体を(うつ伏せに)埋め直しているのであるから、死体の体位の転換を行なった時間に徴して死斑の状況と、死体処理の方法とは一致し、被告人の自白に何らの客観的事実との矛盾はない。
次に、麻縄を足首にかけて死体を吊るした場合、足首に痕跡が出来るか、否か、については、死体の場合、抵抗がないので吊り下げる方法、状況などによって死体に損傷が出来る場合もあり、出来ない場合もあると考えられるが、力ある者が、無理のないように静かに処置したとすれば、出来ない場合が多いであろうし、また特に吊るした状況がいわゆる宙吊りではなく、被告人の昭和三十八年七月一日付検察官調書において、「善枝ちゃんの体が、穴の中に宙に下がっているような強い力で下から引っ張っている張り方ではなく、比較的ゆるやかな引張り状況でしたので、善枝ちゃんの体の頭からお尻くらいまでは、穴の底についている状況ではなかったかと思う」と述べている如き状態では、足首に縄のくい込んで出来る縄目による輪状陥没も、極めて微弱であって、ある時期に、縄を外してそのあと暫く放置してあれば、死後変化のため、皮下の軟部組織が膨化して、縄のくい込みが分からなくなるということも当然考えられ、更には被害者の靴下の上から縄をかけて吊るしたとも認められる本件において、ますます、その痕跡の認め難いことも極めて自然であり、五十嵐鑑定書上、足首に痕跡の記載のないことを以って、直ちに、被告人の自白に信憑力なしとする論拠とすることは出来ない。
また死体発見時のズロースの状態からして通常性交が可能か否かとの点についても、之は性交経験の有無、体位、性交時のズロースの正確な位置、ズロースの性状などが密接に相関連するものと考えられ、いわゆる鑑定になじまない事項である。
以上により、死体に関する再鑑定は、何れもその必要はないものと考える。
(二)第一、二の鑑定請求は、本件玉石について、自白に全然現われていないが、死体の頸部附近に置かれてあったので、故意にそこに置かれたものと考えられるので、自白にないのは、被告人の犯行に疑がある証左であるとの主張の立証に資するものと思われる。
然し、右玉石については、当審第五十八回公判において証拠調べを行なった如く、玉石とは名ばかりの単なる石塊に過ぎないものであって、偶々(たまたま)被害者の死体と共に掘り出されたに過ぎない石塊につき、被告人はもとより、捜査官において、何ら特別の注意を支払わなかったとしても、(実況見分担当者が領置の手続はとったが)何等奇異とすべきではなく、之を以て、被告人の犯行を伝々する問題でもないので、勿論、鑑定の必要はない。
(三)第一の三の鑑定請求は、昭和四十五年六月十七日付弁護人の事実取調請求に対する検察官の意見書第四、一、(二)において既に述べたとおり、その必要はないものと考える。