アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1007

【公判調書3149丁〜】

        「第五十九回公判調書(供述)」(昭和四十七年四月)

証人=上野正吉(六十四歳・東邦大学医学部教授)

                                            *

裁判長=「そういう同じ事項について疑いがあるから鑑定をしてくれということで十五枚を出した、その内の一枚は鑑定不能だからよろしいと、二枚について、相当顕著な疑いがあると、こういう結論を出された場合にあとの十二枚は、そういう疑いはないわけですね」

証人=「はい」

裁判長=「二枚については、結論は鉛筆が先である、しかし、相当な疑いがあると、疑いの書き方も、相当濃厚だという文字が出ているから、そんなに濃厚なら、そういう結論は出そうもないじゃないか、ということを言う人があるかも知れない、それでお伺いするんですがね、その言葉づかい。それから、もう一つは、圧倒的に十四枚のうち、十二枚もについては疑いがないんだと」

証人=「いや、それは書いておりません、疑いがないんだとは」

裁判長=「しかし、疑いのことについては、お書きになってないでしょう」

証人=「それは、疑いを見せる箇所が出てこなかったということで」

裁判長=「だから疑いということについては考えないのですね」

証人=「考えないとは言いませんよ、そういうような、私の意識下にのぼるようなものは、はっきりとは出てこないということを言うわけです、ないとは言いません」

裁判長=「それで結構なんですが、そうしますと、こういう同じような種類のものが十何枚ある、その中の二枚については疑いが相当ある。しかしながら同じような状態のもとにおいて作られたと推察されるその十四枚のうち、圧倒的多数の十二枚というものについては、顕著な疑いはないんだという点を、その二枚のものについて疑いがあるけれども、その疑いをおさえつけて全体については、総括的には、これは鉛筆痕が先だという判断を鑑定、主文が出されるのについて考慮されたのか、されないのか」

証人=「書き方が、その点不十分だったことを認めます。趣意はこの鑑定経過に書いてある通りです」

裁判長=「すると、今二つ指摘しましたが、非常に疑いが濃厚であるという風なことが、言葉では書いてあるが、しかし、結論的に言うと鑑定をなさったのはやはり鉛筆の跡が先である、筆圧痕が後であると結論を下すのに十分であるが、こういう疑いもあるという程度のことに伺ってよろしいですか」

証人=「ちょっと今、だいぶ前の鑑定で記憶を新たにするために、これを読んでみます」

裁判長=「どうぞ」

証人=「はい、結構です。お聞きになった通りでございます。鑑定書に書いてある通りです」

裁判長=「ですから、十四枚の図面のうち、十二枚については、積極的に鉛筆痕が先であって、筆圧痕が後だと。そして、それを疑うに足るところのものは見いだせなかったということになりますね」

証人=「はい」

裁判長=「それだから、その同じような状況において作成されたと考えられるあとの二枚についても相当な疑いがあるけれども、しかしこれは、同じような状況のもとにおいて作成されたということを考えればこの二つも総括的に言えば鉛筆痕が先で筆圧痕が後だと判断してよかろうという判断が入っていたかどうか」

証人=「そういう判断が入っていたようです」

裁判長=「今問題になった二つだけを出された場合には相当な疑いがある」

証人=「疑いもあるようです」

裁判長=「だから、断定的にこの主文と同じような明確な書き方は出来なかったかも知れないと、こういう風に考えてよろしゅうございますか」

証人=「その他の十二枚と同じように」

裁判長=「いや十二枚ということを除外しまして、二枚だけだったら」

証人=「二枚だったら、素直に来る考え方は、第六項の前半の考え方なんです。素直な考え方、すらっとくる考え方は、即ち両面カーボンを新しい紙の下に置いて鉛筆で書くと。その次に今度は別なものに取るためになぞると。筆圧痕を作ると。こういう考え方が第六項の前半に書いてあります、それがすらりとくる考え方です。しかし所々、特に赤い線で書いてある辺りですね、私の鑑定書の第十四図です。これは裏に出てないところがあるわけです、筆圧痕があるのに裏に出てないところがあります。それが、第三番目に云々というところが、強いて考えればという考え方の生まれた根拠です。片面カーボンを使うと、でなくてもいいわけです。しかし、その前に筆圧痕を作ったということも考えなくちゃならないということにもなるわけです。そういうことが書いてあるわけです。鑑定段階ではいろんなことを考えますから」

裁判長=「問題の二通の図面に限っては、すらっと考えれば前半の結論が出てくるが、ごく常識的に結論を下せばそういう風になる、こういう風にお伺いしてよろしいですね」

証人=「はい、結構です」

裁判長=「この点は、弁護人側から詳しい質問があるかもしれません。それから、鑑定書四十四ページ、これは記録二一一四丁のご判断ですね。三十六項に、『予め細い鉛筆線で大凡の輪廓がまず記入されたことによるものかも知れぬ(本図ではこの細い輪廓線はこの第五九図の部分に限らず、最上部の路線や、中央下部の十字路においても認められる)』とありますが、これは二一一四丁の図面だけであって、ほかの図面には見当たらないわけですか」

証人=「見当たりません」

裁判長=「と、やはり、この図面においては、予め細い輪廓線を下に書いておいて、その上を同じ鉛筆でたどった、トレースしたんだということが顕著に認められるんでしょうか。今までそういう点を疑問に思った人がないらしいのでお聞きするんですが」

証人=「これは、本人が書いたか、介助者が書いたか分かりませんけれども、それは明らかに、前もって書かれたものと思います」

裁判長=「記録二一一三丁では、同じことは見受けられないですか」

証人=「なかったと見たのですが、どこか疑いのところでもありますか」

裁判長=「いや私は分からないんで、今まで問題になったことないんで、これはのちほど証言される鑑定人の鑑定にもそういうことは触れていないんで、二一一四丁について、鑑定人がそういう、細い線が予め用意されてると言うが、同じに作ったとなっている二一一三丁について、日付は二十七日で同じ日付になっているんです。同じ日付の、一ページ前のものにはそれがなく、一ページ後の、(2)の方の図面にそれがあるという風にお考えになっているようですが、これはご覧になってすぐには、そういう細い線があるかどうか、存在の有無が分からないわけですか」

証人=「二一一三丁の方には、分かりませんね」

裁判長=「肉眼で見ますと、(1)"二一一三丁"の方にそれがないと認められ、(2)"二一一四丁"の方にそれがあると認められるという区別は考えられないんですが」

証人=「そんなことは鑑定にあたっては考慮しておりません、同じ日に書いたとかね」

裁判長=「これは、私のほうの前提なんですけれども、区別が肉眼では付かないものだという風にお考えなんですか」

証人=「肉眼で付かないように書いたんでは、前もって書く意味がありませんから」

裁判長=「これは、肉眼で見れば見える筈だと仰るんですか」

証人=「はっきり見えます」

裁判長=「どの部分に見えるか仰って下さい、第五九図として指摘されているようですが」

証人=「前もって、道路の輪廓を作っておる、上の方のT字路のところの何も書いてないところです。だから、ずっと大体のものをうすく書いてるんです」

裁判長=「T字路だけですか」

証人=「十字路にもあります」

裁判長=「それを一旦書いて消したんですか」

証人=「いや、そうじゃありません、と思いました。非常に単純な細い鉛筆線ですから、消してはおりません、と思いますが」

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山梨検事=「消しゴムの跡じゃないですか」

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証人=「ちょっとそれは見えません。裁判長、今、検事さんのほうから、消しゴムの跡ということを仰いましたが、太さが違うんです。で、鉛筆の筆圧の程度が違います。うすく軽くうしろに残らない程度に鉛筆で細い線が書かれたと、私は判断しました。それで、細い鉛筆線と言ったわけです」

裁判長=「そうすると、検査なさった時には二一一三丁のものにはそういうのは認められず、二一一四丁について、そういうのが認められた、そういう風に伺ってよろしいですね」

証人=「はい。この鑑定を読んで来ましたが、訂正する箇所は、先ほど申し上げたミスプリントだけで、あとは変える必要はないと思って来ました、内容はその通りです」

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○ここに六月二十七日付の被告人供述調書添付図面、二一一四丁を載せるが、これはもちろん原本ではなく複写されたものであるから筆圧痕等の確認はできない。

図面二一一四丁だけでも甲、乙、丙と三枚存在し、見比べるとその表記はそれぞれに微妙な違いを見せる。

この図面は同じ日付の二一一三丁である。

○あらかじめ細い鉛筆線でおおよその輪廓をまず記入したと見られる二一一四丁に対し、同日作成の二一一三丁にはそれが見当たらないと証人は鑑定するが、このことは一体何を意味するのか・・・・・・。