アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1006

 

(図面2049丁)

【公判調書3147丁〜】

        「第五十九回公判調書(供述)」(昭和四十七年四月)

証人=上野正吉(六十四歳・東邦大学医学部教授)

                                            *

裁判長=「では私からお聞きします」

証人=「その前に、鑑定書のミスプリントが一箇所あります。八ページと九ページの間の図版ですが、第五図の説明に、〈黒鉛筆線を横切る筆圧痕上に《とび超え現象》〉となっていますが《とび超え現象》を《もちはこび現象》と訂正していただきます」

裁判長=「陽性というのは、もちはこび現象が見られるという意味で、陽性なんですね」

証人=「はい、存在する、あるということです」

裁判長=「では、鑑定書の第二節、記録二〇四九丁についてですが、鑑定書十八ページ、六のところに『以上によって本件資料は、まず下に両面カーボンを置き、その上に被告人をして、鉛筆で書かせ、更にその後図面上を骨筆の類でなぞったものと考えられる』とこういう一応の結論が出ておりますね」

証人=「はい」

裁判長=「その同じページの、終わりから四行目から、『これは強いて考えれば三度目の複写で片面カーボンを用いたためという考え方も成り立つが、同じ結果は、まず被告人以外の者が骨筆の類で筆圧痕をつくり、この後に、被告人をして、鉛筆でその跡を辿らせるというやり方もまた考え得られる。本資料の図は相当精巧であるのに、最初から下にカーボンを敷き、書き損じもなく仕上げていることは、後段の疑を濃厚にさせるものである』 と。この二つの結論というか、判断が、まあ、前段と後段が違う、前段は一応の結論を出して、後段は、それに対する疑いはあるんだと、反対のことも考え得るんだという風にこれを読むと見られるんですが、そう考えてよろしゅうございますか」

証人=「そのとおりです」

裁判長=「その部分と、それからもう一つ、その次にも第三節に、記録の2050丁についても、同じような判断がなされているんじゃないかと思いますが、鑑定書二十二ページの終わりの方に、『この図面作製に当って被告人以外の者が予めおおよその輪廓を画き与えた疑いがいよいよ濃厚になるというものである』という風に出ておりますが、これと、その前の二〇四九丁と両方とも同じような判断を大体なさったのですか」

証人=「はい、そういう可能性もあるということでございます」

裁判長=「と、大体、この二つと思いますが、この二つの疑いが相当強いという判断をなさって、最後の締めくくりの鑑定のいわば主文の部分、五十三ページですね、そこに、『一、被告人供述調書に添付の図面はすべて鉛筆跡が筆圧痕に先行してつくられたものである』と、こういう主文を出されておりますね、で、二つだけについては、相当そうじゃない疑いがある、しかし、全部で十五の図面がございます、そのうち一つは判定不能で除外すると十四のうち二つは、何びとかが、最初に書いておいて、それを、その輪廓を画き与えた疑いが濃厚にあるということを疑っておられるのに、鑑定主文では、総括においては、すべて、鉛筆跡が筆圧痕に先行してつくられたものであるという断定的な結論をお出しになったについての途中の鑑定の判断は、どういう風になっていますか」

証人=「これは各条項をよくお読みになれば分かると思いますが、今ご指摘の二枚については主文にあるような結論を一応出したわけです。しかしながらこういう可能性もあるということを加えたわけです。なぜ加えた所を書かないかといえば、鑑定の事項に添うてこの答を書いたわけです。これはあえてその他のことを述べないという趣旨もあるんですが、この鑑定事項をお読みになればこの結果は出てるわけです。どちらが先であるか、その上に紙を載せて書いたか、直接に書いたか、こういう風なことを求められておりますが、それに対する答である。しかし鑑定書というのはこの結論だけでなくて、鑑定経過の中には、十分この可能性もあると書いてあるから、そこをよくお読み下されば分かると思います」

裁判長=「そうしますと、たとえば、同じような問題が存するから鑑定してくれといって出された・・・」

証人=「同じようなと仰いますが、程度は違いますよ」

裁判長=「だから、鉛筆が先か、ほかの筆圧痕が先かということについては同じですから」

証人=「はい、そうです」

(続く)