アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1000 【番外編・1/3】

気がつくと、この拙い備忘録は今回で千回目に入っていた。だからというわけではないが、しかし継続して 来れた節目として、かねてよりその実現の機会を探っていた案件を私は実行に移した。

狭山事件公判調書にはその性質上、検察官と弁護士らによる検証調書等が相当数含まれ、そこには当然、添付された図面、見取図も含まれている。これらを調書内の該当部分と照らし合わせ眺めているだけでは能がない。手元にある図面や見取図に目を注いでいた私は自分の足でそれを確認することにした。

ここに一枚の検証見取図がある。この見取図には石川被告の自白による昭和三十八年五月一日の犯行経路が示されている。経路には要所要所に番号がふられており、この見取図では⑯が検証開始地点となっている。では⑮より前はどうなっているのか。

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                                 検証期日の続行

    裁判長:前記第八現場からその東方の雑木林の中を抜け、東中学校方面から略南々東方に通ずる道路に達したところで日没になったので訴訟関係人の意見を聞き、続行する旨及び次回検証期日は追って指定する旨を告げた。

昭和四十年二月十八日           東京高等裁判所第四刑事部                                                   裁判所書記官  小笠原 幸義

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つまり⑮までの検証は昭和四十年二月十八日頃、日没と共に終了しており、日を改め、今回取り上げる検証へとつながっているのである。したがって⑮で一旦打ち切られた検証と、その続きである⑯との時期的な間隔はそれほど離れてはいないと見てよいだろう。

私はこの検証見取図の犯行経路を実際に辿ってみた。

狭山市中央中学校。見取図のいう「山学校」とはここを指すと思われるが、今ここで、その沿革、変遷、歴史、卒業した有名人などには触れない。

気合いを入れ検証開始地点⑯に立ったつもりだが、私はさっそくやらかしていた。前方十字路を右に行った先が⑯地点である。つまり写真に向かって右から左へ進行するのが正解である(下の図面参照)。

間抜けな私は⑯地点から⑰地点へと向かう道の中央を突破し直進していた。

案の定、道に迷い、不安に満ち、泣きたい気持ちをおさえ、それでもなんとか関口自転車屋があった付近に辿り着く。

⑱地点。

⑲地点。

念のため、見取図にある"沢83号電柱"を捜索するも見つからず・・・。

「沢」交差点。遠い昔、この辺りは沢村と呼ばれ、さらに遡ると澤村という書体で表記されている。

交差点を直進。

三叉路⑳地点。

見取図⑳地点近くに「雷電神社」とある。Y字路を右折後、左手のようだが。

鳥居には「八坂神社」とあり、私が探しているのは雷電神社なのだが・・・。

発見。「雷電神社」は「八坂神社」の境内社となっていた。

見取図の説明通り、上り勾配の道を進む。

今回、私は見取図の経路を自転車を使用し半日ほどで辿っており、これを三分割しこの場へ公表している。本日ここで載せた記録は赤線で示した部分である。

まだまだ先は長いが、ここで一つ確認しておきたい。というのはこの検証見取図(本検証は検事一人、弁護人三人、書記官二人で行なっている)の開始地点⑯以前に、被告はすでに強姦、殺人、さらに被害者の遺体を芋穴に吊るし隠匿するという犯行を終えており、その上でこの見取図に見られる行動を行なったとされているのである。上記の⑯以前の犯行を遂行し終えた時点で、この犯行者は相当なエネルギーを消費していることは明らかであり、本来、これを加味し見取図の犯行経路を辿ることが、本検証の望ましい結論を導き出せたかもしれない。

なお、狭山事件再審弁護団及び支援団体は、その再現実験を通じ、本件にみられる捜査当局側による数々の疑わしい、不自然な点の解明にあたったが、その中から今回の私的検証に関連した部分を引用してみよう。以下四点の写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用。

被害者の遺体を抱き抱え芋穴までのおよそ二百メートルを駆ける実験。抱えているのは被害者と同じ重さである五十四キログラムの人形。遺体の抱え方等、石川被告の「自白」通り再現するも、この抱え方では困難を極め、「自白」通りには運べなかった。

一時的に遺体を隠蔽するため、逆さ吊りの状態にし芋穴に吊るす。吊るすため足首に巻いた紐は近くの木に縛り付けた。

遺体の逆さ吊りという「自白」についての実験では、被害者と同じ重さである五十四キログラムの物体を上げ下げする作業には大変な腕力が必要である上に、遺体の足首には百キロ以上の力が加わりこれはその該当部分には紐による痕跡が残ることを意味するが、実際には被害者の遺体の足首にそれは確認出来なかったという。

かくのごとき想像を絶する体力が求められる犯行をひとまず終え、石川被告の「自白」によれば冒頭の見取図⑯地点へとそれは継続してゆくのである。