アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 997

【公判調書3129丁〜】

        「第五十八回公判調書(供述)」(昭和四十七年二月)

証人=高村 巌(東京都新宿区愛住町・六十一歳・文書鑑定業)

                                            *

橋本弁護人=「あなたの教わった鑑定方法ですね、それに付け加えてあなたが独自に開発した鑑定方法というのがあるんですか」

証人=「という程のものじゃございませんが、便宜上いろいろなことをやっております」

橋本弁護人=「あなたが教わった鑑定方法ですね、大雑把に、どういう風に鑑定なさるのか仰って下さい」

証人=「それは類似点と相違点を出しまして、それによって鑑定していくわけです。ただ簡単に言えばそれだけの話ですね」

橋本弁護人=「被検文書と照合文書の双方の文書の中の同一文字を拾い出して、その文字の双方の類似点相違点を発見していくと」

証人=「そうですね」

橋本弁護人=「そうしますとこの狭山事件の鑑定書で採用されている鑑定方法と根本においては変わらないですね」

証人=「そうでございます」

橋本弁護人=「あなたが裁判所に提出した鑑定書というのは現在までにどれくらいになるんですか」

証人=「そうでございますね、その数は、はっきり掴んでおりませんが、百件以上じゃないかと思いますが」

橋本弁護人=「民事刑事を問わず」

証人=「そうでございますね」

橋本弁護人=「戦争前と後に分けますとどちらが多いでしょうか」

証人=「戦後の方が多いかも知れませんですね。多いと思います」

橋本弁護人=「そのほか警視庁内の仕事の一つとして鑑定をしておることもあるわけですね」

証人=「それは非常に数がたくさんあります」

橋本弁護人=「警視庁の職員、あるいは科学捜査研究所ですか、の所員当時は、これは公務員ですね」

証人=「そうです」

橋本弁護人=「ですから、民間の仕事はなさらないんですね」

証人=「あんまりやりませんが、裁判所からの鑑定命令がございますと、たまにはやったことがございます」

橋本弁護人=「あなたの一番最新の鑑定書はどれでしょうか」

証人=「これは今、問題になっておるところの谷口繁義、四国の死刑囚で強盗殺人をやりまして、これがやったかどうか分かりませんが、被疑者として検挙されまして四国の丸亀支部で判決を受けて控訴をしましたが棄却されまして、また上告しまして、これも駄目になって刑が確定したんですが、それの再審請求をいたしまして、その再審中に警察で書いた手記なるものが本人が書いたのではないんじゃないかという疑いが持たれたのでその鑑定をやってくれと、それについては公務員に鑑定をやらしたのでは具合が悪いから、公務員でない者に鑑定をしてもらいたいということで、私がやったのが新しいものだと思いますが、それ以後にも何かあるか・・・・・・、刑事事件ではそれが大きなものでございますね」

橋本弁護人=「それはいつ頃作成したものですか」

証人=「去年の八月頃作成しました」

橋本弁護人=「それが一番新しいものですか」

証人=「刑事事件ではそうです」

橋本弁護人=「その後民事事件では別のものを」

証人=「そうです。去年の暮あたりにはっきり今、いつ頃ということは覚えておりませんが、秋辺りにやったものがあると思います」

橋本弁護人=「あなたが今まで鑑定をなさった事件の中で記憶なさっているものがありますか」

証人=「記憶しておるのもおらないものもございますが」

橋本弁護人=「いわゆる帝銀事件で鑑定なさってますね」

証人=「やりました」

橋本弁護人=「亀川昭政の窃盗事件の鑑定もございますね」

橋本弁護人=「菅生事件の誣告事件でも鑑定をなさいましたね」

証人=「ございます」

橋本弁護人=「そのほかこういう事件で鑑定をしたという記憶がございますか」

証人=「たくさんやっておりますから、百件くらいやっておりますから。まあ、比較的刑事事件は少ないと思います」

橋本弁護人=「覚えておられる事件はないですか」

証人=「ちょっと今、これというものが出て参りません」

橋本弁護人=「何か鑑定書を、あなたが作ったものを、一覧表みたいなものはないですか」

証人=「一覧表は作ってないんですが、二十五年までのものですと著書の中に重要なものは書いてございます」

橋本弁護人=「それ以降については何か、そういうものはないですか」

証人=「もちろん一覧表を作れば出来ますが、ここには持合わせておりません」

(続く)

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「あなたの一番新しい鑑定書はどれか」と弁護人に問われ、証人は谷口繁義という人物の再審請求の件を語っている。

谷口繁義と言えば、これは「財田川事件」という件名で広く知れ渡っている冤罪事件のことではないか。

『財田川暗黒裁判   矢野伊吉=著』

昭和二十五年二月、香川県三豊郡財田村で独り暮らしの老人が殺害され、その犯人として谷口繁義(当時十九歳)が逮捕され、裁判により死刑判決が下される。

谷口死刑囚は再審請求の訴えを起こすが、のちに、たまたまこの再審案件を担当した高松地裁丸亀支部支部長判事=矢野伊吉が、再度事件に関する法廷における記録、その他の諸々の記録を精査する中で、自分の眼をも疑うような、さまざまな不審箇所や不合理を発見し、谷口死刑囚の無罪を確信する。

『ついに私は定年まで勤務する希望を捨てた。この事件の再審を開始することだけを決定し、その上で退官することにしたのである。私は谷口を裁くことをやめ、谷口を弁護する側に回ることを決意したのだ。

私はこの事件を処理した後で退官することを言明し、その日取りも発表した。そして事件の審査に専念し、再審開始の決定のための草案を作成していた。退官予定日の半月前、[決定書]をタイプ印刷に回した時、どうしたことか、二人の陪席裁判官はこの決定に異議を唱え、決定は流産してしまったのである。

丸亀支部は、三人の裁判官の合議によって運営される合議支部であるため、私はそれまで充分合議し、決定の草案についても、二人の判事とともによく検討する機会を作り、それまでは合議通り異議なく、円満に成立する筈のものだった。それが突然の異議である。私は彼らの真意を解しかねたが、もはや時間はない。やむなく延期を決定し、私はそのまま予定通り退官する破目に陥ったのである。職を賭したつもりであったのだが、それが何ら実を結ばないうちに、退官せざるを得なくなった無念さは、いまなお心の底でうずいている』(財田川暗黒裁判より)

この財田川事件とは、いわば谷口繁義という無実の人を介した、矢野伊吉弁護士と警察・検察庁・裁判所・法務省との闘いの記録と捉えて間違いないのである。

なお、昭和五十九年高松地裁は谷口繁義に無罪判決を言い渡す。その前年(五十八年)にこの世を去った矢野伊吉の闘いは文字通り命がけとなってしまったのである。

著者の略歴を見ると、裁判所判事から弁護士へ転身していることがわかる。これは谷口繁義死刑囚を救うことのみを目的とした行動である。

著者=矢野伊吉弁護士。

私は本書を中古で購入したわけだが、その見開きには事件に関する新聞記事が貼られていた。これは前所有者の仕業と思われるが当時の新聞記事は貴重な記録であり、これはとても喜ばしい。

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 今回引用した第五十八回公判調書(供述)は、昭和四十七年二月の記録であるが、ここで、証人=高村 巌は財田川事件に関わる筆跡鑑定を「去年の八月頃作成した」と述べており、これはつまり昭和四十六年の八月頃ということである。

ではこの点を、筆跡鑑定を依頼した矢野伊吉弁護士からの視点で表現すると、次の通りである。

『昭和四十六年二月十七日、高松地裁丸亀支部の吉田裁判官は、東京都新宿区の文書鑑定科学研究所を訪れ、五十五点にものぼる文書を提出して筆跡鑑定を依頼した。ここにおいて初めて、谷口の「手記」と谷口が書いた文書における筆跡が、果たして同一のものであるか否かが、科学的な鑑定に付されることになったのである。

同年七月二十八日、ついにその結果が、百六十頁に及ぶ大冊の「鑑定書」として明らかにされた。そこには、つぎのような結論が示されていた。

【前記鑑定資料(1)ないし(5)の手記と鑑定資料(6)ないし(55)の谷口繁義の筆跡及び署名とは類似しているが、同一人の筆跡と認めるのは困難である。但し鑑定資料(21)(24)(25)(26)の図面の筆跡は同人のものと認める】

「手記」の筆跡と谷口が書いた文書の筆跡とは、同じものではないことがいま明らかになった。しかし、ここの但し書きの、(21)(24)(25)(26)の図面とは何かが問題になる。鑑定資料目録を参照してみると、(21)とは、第五回供述調書、(24)(25)(26)は第七回供述調書の図面に書かれている谷口の筆跡のことである。

図面とは、被害者を殺した現場や、兇器の刺身庖丁、それを隠した場所、捨てた轟橋などを、谷口が図解したもののことである。

つまり、谷口の自供を裏付けるために、犯人が谷口でなければ解らないことを図解したものであるが、もし、谷口の自供が、警察官や検事の強制によって行なわれ、その誘導によって作成されたものなら、谷口は自分で知らない現場の模様を図解したことになる。その「図解の筆跡」 が、谷口の書いたものでないといま証明された「手記の筆跡」と一致するなら、図解とこの手記は谷口以外の同一人物、つまり警察官の誰かが作ったものであることが逆に証明されたことになるのである。そして、それ以外の文書、まさしく谷口が自筆で書いて裁判所に提出した再審願や、趣意書や手紙などが、これらのものとまったく異なる筆跡であったことも証明され、手記と同時に、供述書の図解もまた、谷口以外の何者かが勝手にデッチ上げたものであることが、科学的に暴露されたのである。鑑定書は続けて書いている。

鑑定人は以上の諸点(運筆軌跡は書いた本人の心理状態、時代によって変化するが、筆癖は特徴を有し、その微細な点も審査考究すれば、正確に識別できる)に留意し、検査の結果、資料(1)ないし(5)の手記の筆跡と、鑑定資料(6)ないし(55)の筆跡には、その運筆の軌跡に相似性があるが、運筆書法と文字形状に相違するところが検出されているので、同一人の筆跡と認めるのは困難である。すなわち、「や」字「な」字「お」字「た」字「そ」字「ふ」字「ら」字等の文字形態の相違が挙げられる。これらの相違が筆者の個性的な相違に基づくものであるか否かは明確でないが、このような幾多の相違点が検出されている以上、同一人の筆跡と認めることは困難である。

 それでは、さらに具体的にどう違うのかを見てみる必要があろう。

手記に書かれている「や」字は殆ど第一筆(ABにて示す)は下方から起筆され右上方に運筆し、下方に転換して丸味を帯びた方に長く終筆が左方に向かい、第二筆(C)は短く縦に運筆し、第三画(D)は右下方に向かって僅かに傾斜する縦線にて書かれているが、終筆が左方に向かう傾向が認められる。文字の形状は第一筆の転換部以下(B)が著しく長く「や」状に書かれているのが認められる。(第一図)

これに対し、比較すべき谷口繁義の筆跡中の「や」字は(第二図)、第一筆の転換部以下が比較的小さく(B)、第二筆(C)は比較的長く、第三筆(D)は比較的短く傾斜して書かれ、その運筆形態は手記と著しく相違している。

そして、署名の筆跡もまた同様な手法によって検討されているのであるが、そこでの結論は、手記の署名と他の署名は「類似しているが、異なった運筆形態で書かれている」と断定されている。つまり、署名は大事な所なので、似せて書いたので「類似」はしているものの「運筆形態」が異なっている。つまり別人が書いたものであることが明らかにされたのである』

財田川事件、その筆跡鑑定に関わる部分の概要は以上の如くであるが、谷口繁義を徹底して死刑判決へ追い込んだ警察、検察、裁判所の所業は、これは許されざることであり、矢野伊吉の尽力がなければ、谷口繁義に対して何ら問題なく死刑の執行はなされたであろう。