【公判調書3081丁〜】
「第五十七回公判調書(供述)」(昭和四十七年)
証人=諏訪部正司(四十八歳・浦和警察署刑事第一課長)
*
松本弁護人=「それじゃ時計について伺いますが、時計は当初、石川君は道路に捨てたという風に言っていましたね」
証人=「はい」
松本弁護人=「それで前に出た警察の方の証言によると、確か小島さんだったかと思いますが、その、道路に捨てておくようなばかなことはないと、こんな所に行っても出て来やせんと思っておったというようなことを述べておられるんですけれども、そういう時に、漠然としたことでなしに、道路のどこに捨てたか本人を伴わなければ図面では分からんのじゃないでしょうかね」
証人=「まあ、これはですね、その当時捜査のこれは当然、実地検証なり引き当てなりという言葉で表現すればやるべきだったと思っておりますが、それがまあ出来なかったと、こういったことでその場所もやらなかったわけです。それで私はその中央位置の地点と、それから発見地点とを見たんです。まあ写真にもあると思うんですが、私共は自動車が通ってはねたと、さらに砂利が敷いてありますから、そこではねて行ったという風に見て自然だと、私はその位置で不自然ではないと、こういう風な判断を致しました」
松本弁護人=「そんなことを私は聞いたんじゃなくて、なぜその位置について被疑者自身を伴って特定させなかったのか、つまり時計の場合には数日間に渡って数十人の警察官が周辺の家屋から何から畑や何か全部洗っていって、発見出来なかったというわけですから、今と同じお答えですか」
証人=「私はそういう風に思っております」
松本弁護人=「次に万年筆について伺いますが、あなたは先ほど五月二十三日の捜索、六月十八日の捜索にいつも加わったということを述べたんですが、万年筆が出てきたのは六月二十六日と、こういうことでしたね」
証人=「ええ、これはもう自供があってから後の捜索になっていますね」
松本弁護人=「それで、この警察官の証言が多少まちまちであるので繰り返してお尋ねするんですが、一回目、二回目の捜索に出かけて行った捜査員の人数は証人のご記憶では何名くらいおりますか。一回目と二回目」
証人=「直接、私がその主任指揮官ではありませんので忘れました」
松本弁護人=「十名くらいでしょうか、二十名くらいでしょうか、三十名くらいでしょうか」
証人=「忘れました」
松本弁護人=「まあ、十名よりは多いですね」
証人=「ちょっとはっきり申し上げられないですね」
松本弁護人=「十名以下という供述は一つもないものですから聞いておるんですが、それでね、あなた二回目に行ったということを伺ったんですが、このときには万年筆を捜すという目的がありましたね」
証人=「記憶ありません」
松本弁護人=「何を捜しに行ったのか、記憶ありませんか」
証人=「その記憶がないんです」
松本弁護人=「あなたは、勝手口、玄関の右手に勝手口がありましたね、記憶ありますか。被告人の家」
証人=「はい」
松本弁護人=「その勝手口から上に上がられた、要するに勝手口を出入りされた記憶はありますか」
証人=「玄関から入ったように記憶してます」
松本弁護人=「勝手口の付近はもちろん通りましたね、風呂が横にありますから。風呂場の横です」
証人=「記憶がないです」
松本弁護人=「あの勝手口を上がって立ちますと、普通の背の人であれば、その勝手口の上の部分、木と木の間に、ちょっと空間ができておるような、棚とはいきませんけれども、そういうようなものが、構造としてあるわけですけれども、あなた万年筆が発見された場所、知っているでしょう。知ってますな」
証人=「知ってます」
*
石川被告方の家宅捜索時に撮影された写真。もちろん撮影者は警察である。のちに写真に写っている人物の頭上付近の鴨居から万年筆が発見される。
こちらは六月十八日の家宅捜索の写真。捜査員は台を使用し神棚を調べている。いわばその道のプロによる抜かりない徹底的な捜索が行なわれたわけである。
写真は狭山事件弁護団による再現実験であり、事件当時と寸分違(たが)わず再現された勝手場入口、その鴨居に万年筆を置いた状態。
鴨居の右端に見える白い物体は、ここに開いていた"ねずみ穴"をふさぐために詰め込まれたボロ布であるが、実は第二回目の家宅捜索時、小島警部はこの穴に詰めてあったボロ布を取って調べたと証言しているのである。見ての通り、万年筆はすぐ左側に見え、となると第二回目の捜索時にはここに万年筆は置かれていなかったと考えられる。
(続く)