【公判調書3053丁〜】
「第五十七回公判調書(供述)」(昭和四十七年)
証人=諏訪部正司(四十八歳・浦和警察署刑事第一課長)
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(法廷では裁判長が弁護人に、スコップ発見場所と地下足袋発見場所の位置関係を検証時の見取図で示すよう促した。これを受け石田弁護人は当該見取図を示し尋問に移ろうとするが・・・。なお今回、発言者が激しく入れ替わる点に留意したい)
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石田弁護人=「(当審記録第十冊三一七丁、当審第三回検証調書第一見取図を示す)⑩が死体発見現場で、㊽がスコップ発見場所ということですが・・・・・・」
証人=「・・・・・・あなた方は何ですか」
松本弁護人=「弁護士です」
証人=「ここにいられちゃ・・・・・・」
山梨検事=「検察官がここにいるんだから、弁護人も坐って、主任弁護人だけ出て、・・・・・・ちょっとあなた方、新しい弁護人だけどね」
松本弁護人=「それは、裁判長、証人尋問の際にね・・・・・・」
裁判長=「まあ、後で見て下さってもいいじゃないですか、検察官の邪魔になる・・・」
山梨検事=「私も見えませんからね」
佐々木静子弁護人=「検察官出て来られたらどうですか」
裁判長=「いや、いいです、そのまま、新しい弁護人は後で見て下さっても結構です、是非ここで見なくちゃならないというものじゃない」
石田弁護人=「証人、ご覧になって下さい」
証人=「・・・・・・・・・」
山梨検事=「ちょっと、もう一人の検察官が見えませんが・・・」
佐々木静子弁護人=「出て来られたらいいじゃないですか」
樺嶋弁護人=「私ども一人一人に分からなかったらどうなんですか」
山梨検事=「向こうからご覧になればいいじゃないですか」
裁判長=「ゆっくりご覧になってもいいんだから、今ご覧になってもいいけれども、そんなごたごたする必要ないじゃないですか」
樺嶋弁護人=「ごたごたする必要ないですから、検事もここへ来られたらいいんです」
裁判長=「あなた方も譲るべきところは譲ったらいいんです」
樺嶋弁護人=「検事はご覧になる気があるんですか、こんなことを言われたのは初めてです」
証人=「・・・・・・そばにいられちゃ私も気持ちが悪いです」
裁判長=「証人のそういう感情も少しは確かめてですね」
佐々木静子弁護人=「今のは調書に、ちゃんと残ってますね」
裁判長=「ああ、とります」
山梨検事=「証人を威圧されちゃ困りますからね、周りで、・・・・・・お席にお着き下さい」
松本弁護人=「ちょっと離れて見ましょう」
山梨検事=「証人が、そういう風に言ってるんですからね、もう少し離れて下さい」
松本弁護人=「指示はあなたはすべきじゃないです、あなたは検察官だから、そういう指示をしちゃいけない、弁護人に向かって何ですか、やめなさい」
裁判長=「あなたがそういう風に検察官に言う必要はない」
松本弁護人=「いや言っちゃいかんというんです」
裁判長=「ですから、その程度で」
石田弁護人=「もう一度言います、赤で⑩という・・・」
証人=「・・・もう少し静かに、私も証言台に立って神聖なことを私は証言したいと思いますから、静かにしておいてもらわないとやはりあれですよ、私だって本当に、この所で神聖な証言をしたいと思いますから、それにはやはり、側にちらちらしていますと・・・・・・」
樺嶋弁護人=「裁判長、今の発言、大変侮辱的ですね、取消を・・・」
裁判長=「そんなことないです」
樺嶋弁護人=「ちらちらということはどういう事ですか」
裁判長=「側におられると心が落ち着かないという意味です。そんなことで争っては時間がかかってしょうがない」
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石田弁護人=「よくご覧下さい、これは現場の図面で⑩が死体発見現場で、㊽がスコップ発見現場です。この図面でいきますと、㊽から北の方に約三百メーターというと、どの辺の地点になりますか」
証人=「⑥は何ですか」
石田弁護人=「⑥は芋穴です」
証人=「・・・・・・・・・・・・」
石田弁護人=「(当審記録第十冊三一八丁、同じく当審第三回検証調書の第二見取図を示す)こちらで見て下さい、⑩が死体発見場所で、⑥が芋穴、㊽がスコップ発見現場です」
証人=「恐らくこのほかに、こっちの方に、山の中に、山小屋のようなものがあったように思いますが、この方向だと思います」
石田弁護人=「言葉で言いますと、旭住宅の方へ向かう方向ですか」
証人=「そうですね、旭住宅の方です」
石田弁護人=「で、約三百メーターと言われるのは直線の距離ですか」
証人=「恐らくそのくらいだと思います」
石田弁護人=「その地点は、そうしますと人家でしょうか、道路でしょうか、あるいは畑なり山林」
証人=「畑のように記憶していますね」
石田弁護人=「その畑の持ち主は須田さんとは違う方ですか」
証人=「記憶ありません、忘れました」
(以上 佐藤治子)
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○なお、蛇足ながら記しておくと、拙ブログ「狭山の黒い闇に触れる 969」から今回の976までの計8回分が、実際の法廷では午前中に行なわれた尋問となる。
言い方を変えると、昭和47年2月10日に行なわれた公判の午前の部、それを私は8分割し引用したと、こういうことである。実に短時間の中、凝縮されたやり取りが進行していたことがうかがわれるのであった。