アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 613

【公判調書1913丁〜】

                 「第三十九回公判調書(供述)」㉓

証人=中  勲(五十七歳・埼玉県消防防災課長。事件当時、埼玉県警刑事部長)

                                         *

山上弁護人=「証人は、先ほどのご証言によりますと、昭和九年頃からずっと狭山といいますか、場所的には一貫して同じ場所で警察の行政にたずさわっておられたということですね」

証人=「はい」

山上弁護人=「埼玉県のですね」

証人=「はい」

山上弁護人=「この犯行現場の地域ですね、この辺は産業構造といいますかね、どういう産業が主にあるんですか」

証人=「大体養蚕とお茶で、そのほかは蔬菜類でございましょうか」

山上弁護人=「ごぼうなど蔬菜類ですか」

証人=「ごぼう、人参ですね」

山上弁護人=「それから、草履業というか、そういうものもあるんじゃないですか」

証人=「私は知りませんでした」

山上弁護人=「しかし、昭和九年から埼玉にいらしたら、殆ど周囲の状況、職場、産業状況などは、隅々まで詳しく手にとるように分かると、こういう状況じゃございませんか」

証人=「大体知っているつもりでございますが」

山上弁護人=「この被害者の中田さんの家ですね、これはどういう職業に属しておられる方ですか」

証人=「農業です」

山上弁護人=「中農、貧農、富農という分け方があると思いますが、どういう階級というか、に、属されていたでしょうか」

証人=「一見、中農じゃないでしょうか。これはあくまでも私どもが外見から見た、私どもの感じでございますけれども、中農という感じがいたします」

山上弁護人=「この石川一雄が、どういう職業の経歴を経たかということは、あなたはご存じですか」

証人=「これは、取調べの結果を聞いてますから」

山上弁護人=「どういうことでしたか、取調べの結果は」

証人=「小さい頃からよそへ子守りに出されて、それから成長しまして、今記憶に残っておりますのは東鳩製菓ですか、あれの保谷工事へ勤めておられた。その後は兄の六造さんの手伝いをしておったというような経歴を記憶いたしております」

山上弁護人=「学歴はどういうことでございましたか」

証人=「学歴は、中学校を卒業しておるけれども、あまり学校へ行かずにお情けで免状を貰ったという風に聞いておりましたです」

山上弁護人=「あなたが戦後、埼玉の警察でいろいろの仕事に携わっていますその中で、捜査をなさる過程で、中学をお情けで出たというような、特に、そういう教育を十分に受けられないという様な人は、埼玉県下ではどうでしょうか。あなたの経験では」

証人=「どういうご質問でしょうか、沢山あるかどうかですか」

山上弁護人=「ええ」

証人=「そうでございますね、犯罪を犯す、特に盗犯関係におきましては、比較的教育程度の低い者が多いように思いますけれども」

山上弁護人=「この石川一雄くんの出身地、生まれた土地でございますね。これは地名が変更されたようなことはございますか」

証人=「知りません」

山上弁護人=「たとえばこれはお聞きになったことがあるかどうか、菅原四丁目というような呼び名、地名ですね、それがあったことはご存じでしょうね」

証人=「知りません」

山上弁護人=「本当ですか」

証人=「あれは入間川四丁目じゃないですか」

山上弁護人=「入間川四丁目という言葉は知っておるんですね」

証人=「はい」

山上弁護人=「事件が発生した五月二十日前後にですね、解放同盟という組織の野本さんという人があなたにお会いなさったことがありますか、捜査本部で」

証人=「ああございます。これは暫く経ってでございますね」

山上弁護人=「何日頃ですか」

証人=「何か、毎日新聞埼玉新聞に特殊部落ですか、というような記事が出まして、これは警察の発表ではないか、というような抗議を受けたように記憶しておるんですが、私、一度、確か一度だったと・・・・・・二度でしたか、お目にかかりまして、警察は左様な、何も考えを全然持っておりませんし発表したこともございませんということでご了承いただいたことがございます」

山上弁護人=「すると野本さんがあなたのところへ来られて、どういう風な抗議をなさったんですか、具体的には」

証人=「新聞記事について、警察が新聞社に発表したのではないか、という趣旨のように記憶しております」

山上弁護人=「只今ちょっとお触れになりましたが、新聞記事の内容というのはどういうことですか」

証人=「特に、埼玉新聞が見出しに大きく特殊部落という見出しを書いたのを記憶しておるんですが、私は正直なところ、内容については殆ど当時新聞を読んでおらないんです。大きな活字を見る程度で、全然そういう余裕といいますか、それがなかったのが実情でございます」

山上弁護人=「特殊部落ということについて、そういう言葉はあなたのいろいろな経験の中で知っていますか」

証人=「知っております」

山上弁護人=「石川一雄くんが、そういう出身であるということも知っておりますね」

証人=「のちに聞きました」

山上弁護人=「いつごろですか」

証人=「新聞に出る前後、出た頃でしょうか」

山上弁護人=「この犯行現場のあった場所、広範囲な場所、特定は私も詳しくは知りませんが、この辺に旭団地とかアサノ精密とか、そういう大きな建物が建ち出したのは最近ですか」

証人=「最近でございますね。当時は山本精機といいますか、シチズン関係の精密機械を作る工場が一つだったと思います」

山上弁護人=「そういう大きな建物が建つ以前は殆ど農地の状態だったんですか。畑ですか」

証人=「犯行現場は農地と山林です」

山上弁護人=「最近になって、そういう土地にも今ご証言になったような建物が続々建ち出したと、こういう状況ですか」

証人=「最近行ってみませんのでよく分かりません」

山上弁護人=「特にあなた、中証人がご存じの範囲で結構なんですが、筆跡について広範な範囲に調べたことがございますか」

証人=「これは一応、私どもの基礎捜査の段階で、まあ疑いが持たれる者については片っ端から、と申上げてはちょっと大げさですけれども、一応筆跡をとるという方針です」

山上弁護人=「何名ぐらい当たられましたか」

証人=「数については分かりませんけれども、石田一義さんの所だけでも十人を超える人数の筆跡をとらしてもらったように記憶してますが。石田一義豚屋さんの所です」

山上弁護人=「一義さんのとこでも十名というのはどういうことですか」

証人=「その関係だけでも十名ぐらいの人の筆跡をとらしてもらってると思います」

山上弁護人=「関係というのは、更に具体的にはどういうことですか」

証人=「要するにスコップを犬に吠えられずに取れ得る対象の人たちですね。たとえば家族、従業員、或いは出入りの商人というような方で、一応出てきた人につきましては筆跡をいただいてると」

山上弁護人=「石田一義さんの関係ということで、範囲はわかりますけれども、実際にはそれ以上の筆跡をいろいろと調べて歩かれておられるでしょう」

証人=「はい」

山上弁護人=「その範囲は何名ぐらいでしょうか」

証人=「ちょっと分かりませんです」

                                         *

引用文に「野本」という名が見られるが、この方は当時、部落解放同盟埼玉県連委員長を務めた野本武一という人物である。事の発端は、埼玉県狭山市、菅原四丁目の町内会長であった石川一郎氏が、自身の住む町をマスコミ等に"特殊部落"と書かれ新聞社に抗議するが、さらに集中的な見込み捜査や石川被告人が別件逮捕されていることに耐えかねず野本武一に知らせ、結果、部落解放同盟関東甲信越協議会の幹部を伴い、野本氏は差別捜査と別件逮捕について特捜本部へ抗議を行なったのである。

当時の新聞記事。(現在、「スラム」「スラム街」という言葉は差別用語とされ、メディア等では使用禁止用語である)

私の記憶は不正確であるけれども、もしかすると今回引用した弁護人による尋問の中に、公判上初めて差別問題に絡む内容が登場したのではないかと思われる。草履業という職種の提示や、中田家の経済状況が富農、中農、貧農のどれにあたるかと答えさせているのは、これは証人に内在する差別意識の程度を探る問いであることは明白であるからだ。

引用中の公判は東京高裁での第二審であり、昭和45年、西暦にして1970年に行なわれたものだが、この前年である1969年より部落解放同盟の支援活動が急激な運動を開始するのであり、弁護団がこれらの活動の影響を受けたことは否めないであろう。