アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 508

【公判調書1629丁〜】

第一  遺留品をめぐる問題                             橋本紀徳

 一、手ぬぐい 

(2)捜査官はこの苦境を切り抜けるため二つの推測をした。この推測は当公判廷で、前記滝沢検事が陳述する。第一の推測は、手ぬぐい捜査を知った被告人宅の誰かが、問題の手ぬぐいがないのを知って近所から大急ぎでもらい受け、これを警察に提出したのではないかと云うものである。

この手ぬぐいは、狭山市田中の五十子米屋が、お得意先に三十八年正月の年賀用に配るため、三十七年十一月、川越市の業者に百六十五本注文し、三十七年十二月五日ごろ出来上がってきたものである。これを五十子米屋は百六十軒のお得意先に配った。五軒に二本宛配り、あとは一本宛である。事件后警察はこれの回収にあたり、被告人宅も含めて百五十五本回収した。未回収は十本あったが、このうち三本は使途がはっきりし、残る七本が使途不明なのである。そこで、この七本の未回収手ぬぐいの所有者のうちの誰かが被告人宅にくれてやったのではないかと捜査官は疑った。提出出来なかったのは、石川仙吉、水村しも、小松源内、中島利雄、清水清助、関谷二三子、中丸広二の七名であるが、このうち石川仙吉は被告人の姉の嫁ぎ先であり、水村しもは被告人宅の隣家で、しもの長男正一は被告人の友人である。小松源内も被告人宅の遠い親戚にあたる。これらの者のうちの誰かが被告人宅にくれてやったに違いないと云うのが捜査官の推測なのである。

七月八日付の被告人の検事調書第二項においても、検察官は「五十子米屋から配られた手拭いは君の家から警察に提出されており、それ以外に五十子米屋の手拭いはある筈は無いが、どうなのか」と質問し、被告人から「私はおっかちゃんが出してくれた手拭いを持って出てそれを使ったものです。私方で警察に出したのはどうして出したのか知りませんが、近所から貰って来て出したのではないでしょうか。しかし私にはその事情はわかりません」と述べさせているので、滝沢検事の推測は捜査官全体の推測として捜査段階からすでに存在していたものであることが明瞭である。

滝沢検事の第二の推測は、問題の手ぬぐいを被告人宅に誰かが偶然置き忘れ、その結果被告人宅には同種の手ぬぐいが二本存在していたのではなかろうかと云うものである。しかし、以上二つの推測はいづれも単なる推測であって、この推測を裏付ける確たる証拠は何もない。

第一の推測は、被告人に「私が善枝ちゃんを殺した後、死体が発見されてから、五十子米屋から得意先に配られた手拭いを警察の人が探しているという事を聞きました。そうして兄ちゃんが五十子米屋から貰った手拭いを探したけど無いと云っているのを聞きましたが、警察には手拭いを差し出したという事実は聞きました。その五十子米屋の手拭いを兄ちゃんがどの様にして探し出したのか、都合したのか、私は知りません」(六月二十七日付検事調書第一項)と供述させ、被告人の口から裏付けを取ろうとしているが、兄六造が十六回公判廷で、弁護人の「五十子米屋から貰った手ぬぐいを捜したけど無いと云うことを一雄に云ったことはないですね」との問いに対し、「ないです」と言下に否定したことによって、全く不成功に終わっている。兄六造は公判において尋問の順序にしたがい、よそから手ぬぐいを手に入れるようなことは無く、当時家にあった五十子米屋の新旧二本の手ぬぐいを警察にそのまま提出した旨を述べ、結局、前記滝沢検事の推測の成り立たないことを明らかにしているのである。

次回、(3)に続く。

被害者を縛っていた手拭い。(写真は“狭山差別裁判・第7集=部落解放同盟中央出版局”より引用)