アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 488

【公判調書1598丁〜】

「現場足跡は偽造された」                                植木敬夫

二、足跡採取の怪

(三)、『畑の中の土壌は非常に柔らかかったのであるから、実際に犯人がやって来て畑の中に潜み {そのことは争いのない事実であるが } そこから逃げて行ったのであれば、その連続した足跡を、その潜んでいた場所を含めて発見することは、普通なら容易なことである。それなのに、なぜ、この調書のように飛び飛びの僅かな数の足跡しか発見することが出来なかったのか。その理由は、われわれが当夜の情景を頭に思い浮かべてみれば簡単に理解することができる。

警察官が多数張込んでいた直ぐ眼の前に犯人が来た。それを、不覚にも一瞬遅れて取り逃がしたのである。犯人がすでに遠くに逃げ去った後になってそのことに気が付いたのであれば、警察官も始めから追いかけることを諦め、すぐ現場保存にでも着手したであろう。しかし、この場合は、逃げる最初の気配を察知して飛び出して行ったのである。だから犯人がすぐその附近にいると思われた。逃げる姿は見えなかったから、犯人はまだ茶畑の茂みの中に息をひそめて隠れていると思われた。だから、彼らは是が非でも犯人を逮捕しようということに全神経が集中し、畑の中に飛び込み、必死になって畑の中のあちこちを探し廻ったのである。このことは、一審証人山下了一の「大谷木警部などと一緒に佐野屋の東の畑の中を捜索した」という供述、同、増田秀雄の「みんなが笛をぴいぴい吹いたり懐中電灯を振り廻したり、大勢飛んで歩いていた」という供述などによって訴訟上証明されている。当時の報道紙誌にはこの時の情景がたくさん描かれている。この場合、警察官がこのように行動するのはまったく当然のことであって、少しも非難されるいわれはない。むしろ警察官がこれと違った行動をすれば、それこそ奇異であり非難さるべき事柄であった。

しかし、このもたらした結果は、のちの捜査にとっては必ずしも好都合ではなかった。というより、甚だ都合が悪いことになったのである。何故なら、右のように多数の警官が慌てふためいて畑の中を走り廻った結果、畑の中は至る所踏み荒らされ、滅茶苦茶に足跡がついているという状況になっていたからである。この調書にも「県道南東畑地を見分する、不老川に至る間無数の長靴及び地下足袋ズック跡が認められ」たと書いてある。

このような状況の中では、犯人の連続した足跡を発見出来ないことがあるのも、至極当然であろう』

*次回、(四)に続く。

○引用した文章を補強できるかどうか分からないが、この写真を載せてみる。画像を拡大すると右端に×印が確認できる。ここが犯人が出没した地点であり、この後に×印地点から左下方向へ逃走したとされている。写真上部周辺に待機していた警察官ら三十数名が、一挙にこの茶畑になだれ込み犯人検挙に奔走するが、結果は凶と出る。犯人は取り逃がし、現場は各種足跡で埋められた。どの足跡は誰のものかなど、ほぼ判別はつかなかったことは想像にかたくない。この、負の展開が狭山事件の黒い土台をかたち作ってゆくのである。